懇談会の提言

arcturus2006-09-04

 
水俣病問題に係わる懇談会の提言が1日まとまりました。

「未認定者、救済策を」水俣病懇談会が最終提言(朝日新聞 2006.9.2)
 
提言は、病状などから被害者が水俣病患者かどうか判定する現行の認定基準の維持を「それなりに合理性を有しないわけではない」と容認。一方で、現行基準で救済しきれない被害者を含め、「もれなく補償・救済できる恒久的な枠組み」を早急に構築するよう求めた。
新たな枠組みでは、原因企業のチッソだけでなく、04年に国と熊本県の責任を認めた最高裁判決を重視し、国が前面に立つ仕組みとするよう求めた。補償などの費用については、高度成長を支えた企業による公害被害ととらえ、経済成長の恩恵を受けた国民全体で負担するとの考えから、一般会計を財源とすべきだとしている。

<解説>懇談会提言 認定基準見直しの好機生かせず(熊本日日新聞 2006.9.2)
 
しかし、環境省との協議を重ねるごとに提言は後退。「特別立法」「第三者機関の設置」「最新の知見を集めて」の文言は、徐々に消える。委員側はささやかながらも抵抗を見せ、水俣病の全ぼうを明らかにするための「調査研究プロジェクトの立ち上げ」を新たにもぐり込ませたが、結果は「調査研究を推進する」にトーンダウンした。
認定基準は維持する一方、それでは救われない被害者への救済策を検討する。認定審査会の再開に努力する―。提言内容は、ほぼ環境省の描いた通りになったと指摘されても仕方あるまい。
「新たな立法措置によって工夫すれば、現地は混乱しない」と主張していた委員側が、最終案を前に「認定基準を見直すと、現地が混乱する。現実的な選択をした」とうなだれた。まさに混乱を招いてきた当事者である同省の説明そのまま。神経戦の勝敗を象徴している。
委員の一人は「認定基準はやはりタブーだった」と漏らした。認定基準の問題は「水俣病とはどんな病気なのか」「被害者はどれだけいるのか」といった根本的な課題を内包している。
公式確認五十年を迎え、公式に議論を深める好機だった。しかし「国への異論」を受け入れない、霞が関の変わらぬ体質をあらためて示す結果に終わった。
とはいえ、未認定患者の早期救済をはじめ提言が指摘した数々の点は、国にとって待ったなしの課題であることは間違いない。提言の内容に最後まで介入した以上、その実現への国の責任は一層重くなったと言える。

 
水俣病患者であれば認定補償されて補償金があるからいいじゃないか、とみられて福祉の支援対象になってこなかったこと、患者さんたちの高齢化の現実を考えればそこに具体的な施策が求められている切実さはよくわかります。協議を破綻させるより現状への対処を環境省や政治に求めたというのもわかります。
それでも、だからといって認定基準は見直さないことと引き換えなければならないですか…
ずっと会議録を読んできて、吉井委員*1・加藤委員*2のおふたりは水俣の声を届けるために懇談会に参加していると思ってきました。地域の現状をよく知る2委員の発言にこそ、この懇談会が出さなければいけなかった現実的な提案はあるのだと私は思います。
 

水俣病問題に係わる懇談会 会議録より、吉井委員、加藤委員の発言。

第1回会議録(2005.5.11)

吉井委員
この懇談会に参加するに当たって、地元の患者団体等から医学者あるいは弁護士、そういう専門家が参加しない懇談会は無意味だという批判をかなり受けまして、出づらい思いをしてきたわけであります。この認定問題あるいは病像の問題など、混沌といたしておりますが、これらはやはり専門の学者あるいは弁護士、関係者が論議を闘わせる場というのが必要だろうと、このように思います。私、ここへ参加したのは専門家、そういう人たちの意見は50年間すごく論議をされてきております。ただ、第三者というのか関係のない人、関係の薄い人、そういう人の発言というのは水俣病に関してはすごく少なかったと思います。

加藤委員
検証するということは1年では私もできないというふうに思っています。しかしながら、同時進行で緊急的な課題ということはあります。それは、やはり今40代の後半から50代に差しかかっていらっしゃる、特に胎児性の患者さんたちの今後、特にほっとはうすに来られている患者さんはまだ軽い方です。もっと重い状態に置かれている方たちが、家族のみが介護にかかわるという状況の中で、地域の中で半孤立の状態にあると思います。こういう方たちに対して、地域福祉としてどうしていくのかということは非常にこの場で緊急に私は検討していただきたい課題の1つだというふうに思っています。


第2回会議録(2005.6.14)

吉井委員
患者救済には、金銭的補償とともに患者の精神的安定が必要であるというのは、さきに述べたとおりであります。いかに多くの金銭的補償がなされても、田舎の社会でありますので、羨望と卑下が渦巻きます。「似せ患者」「金の亡者」などと疎外されかねないのです。そうしますと、補償を受けても幸せな生活は送れません。周囲あるいは隣近所が理解し、同情し、励ます、そして助け合う、そのことがあって初めて生きる喜びが生まれます。特に地方の共同社会では、良好な人間関係の醸成が必須の条件であります。「もやい直し」は、少ない金銭的救済を補完する役割を果たしたと思っております。

加藤委員
その50年の節目、節目、特に50年間、水俣病を丸ごと生きてこられた若い患者、胎児性、小児性の患者さんたちの節目、節目での必要な社会福祉的な援助、サポートが必ずそのときに浮かび上がっていたはずなんですけれども、こういうものに対して50年、全く手付かずであったと思うんですね。これは、やはり国民の健康について責任を持つ厚生労働省の問題というのはすごく大きいと思います。


第3回会議録(2005.7.21)

吉井委員
やはりその政治解決の発端は、「生きているうちに救済を」という患者さんの切なる願いがございましたし、そしてそれに応えて司法の場で和解勧告がなされた。それを受けて政治解決という努力をしてまいったわけでありますけれども、私が主張したのは、裁判の原告だけ救われてもだめだ、原告以外にも、一般に申請をされていない人たちもすべて救済すべきだという主張をいたした。結果として、そうなったわけでありますけれども、そこで、でも和解でありますし、相手のあることであります。いろいろ論議をされた上、ご存じの条件で決着をしたわけであります。もちろんたくさんの積み残しがございました。大きな問題を言えば行政の責任が認められなかった。それから水俣病という病名で救済がなされなかったというのがございます。そのことがその高裁判決で問われているわけです。

加藤委員
私自身、一委員として、どこまでできるか分かりませんけれども、最初から私自身皆さんと同じ覚悟を水俣病患者として、被害を受けた人たちの立場に立って参画しているつもりです。そして、これ以上、患者が分断させられていくような状況を招いてはいけないと思うし、このことはきちっと最高裁の判決で確定したわけですから、そこのところを国はしっかりと受け止めてほしいというふうに私も思っております。


第4回会議録(2005.9.6)

吉井委員
やはり14年前の答申に頼っているというのは何とも説得力が弱いような気がしてならないわけであります。亀山委員が先ほど「前提が崩れた」とおっしゃいましたけれども、ここで高裁の判決が出たという大きな転機を迎えておりますので、改めて審議会あるいは専門家会議、こういうところで検討いただいて、今後の施策のしっかりした根底をかためていただく。そのことによって混乱はおさまってくると、新しい根拠をつくることによっておさまってくると思います。この問題については議論百出でありますから、右往左往していては混乱を深めるばかりでありますし、ある一定のしっかりした根拠を定めていくことが必要だろうと。

加藤委員 
50年の節目で提案されたこの懇談会は昨年の10月の関西訴訟の判決も大きく受けてということだと思うんですけれども、大変重要なテーマがきょうの議論の中でも出てきているんですね。先ほども同じことを言っているんですけれども、時間的に非常に区切られていると。少なくとも私たちここにかかわった以上、中途半端な報告はできないと思うんですね。


第5回会議録(2005.10.25)

吉井委員
厚生省や関係省庁も公務員は法律に従って行わなければならないというのを楯に、やらない方向に、批判や責任問題が起きない方向に、身の保全の方向に汲々としているのが見えてくるわけですね。例えば、当時の高野厚生省食品衛生課長は、食品衛生法の規制の問題で、熊本県の問い合わせで、これを拒否しておられますが、その答えの中に非常におもしろいのがある。「幅の狭い解釈かもしれないが、私は食品衛生法を守る立場であった。魚は一般の人の食品に供されるというとき法の対象になるのであって、泳いでいる魚はとるなという権限はない。適用は正しかった。公務員は法律の番人だから仕方がなかった。」と、こういうふうにおっしゃっております。そうかもしれません。しかし、法に従い、法だけで動く、そういう行政の欠陥というのが浮き彫りになっていると思います。
多くの人々が生命を落としているという非常事態の中で、官僚は法の解釈だけで、それを至上命令として、国民が死んでいるのをただ見ているということ。これはどうも私たちには理解できない。法律は国民の生命、安全を守るために制定されていると。食の安全を守るという法律があったけれども、その法律を守らない方向に解釈されたために、水俣病は、法律から見放されてしまったというふうに思います。

加藤委員 
34年以降のこの問題を考えるときに、水俣病の終息か蓋閉めと言いつつ、この31年から34年にかけてたくさんの患者さんが生まれているわけですね。実際に現地は蓋閉めどころか、日々家族の中に原因不明と言われる患者を抱えて、大変な状況であったというふうに思うんですね。確かに昭和30年代を想像すれば、袋地区は水俣の市内からすれば海路で周辺の部落が行き来する、そして水俣の市内に行くとすれば、1年に数回の祭りやハレの日であった。そういう中でそこの地区では大変な状況が起きていたわけです。一方、関西訴訟の証言を聞いていても、行政の担当者にしろ、大学のさまざまな研究者にしろ、現地に本当の形で足を踏み入れて、現地で起きていることをつぶさに見て、その事態をどうとらえるかという見方がなかったというふうにつくづく思います。これはまさに中央と地方の余りにも距離があったということだと思うんですけれども、こういう形で常にそこで起こっていることを我が身としてとらえたときには、多分こういう状況では進まなかったと思うんですね。結果的に工場内の実験ではっきりとチッソの排水が原因であるということがわかりつつ、経済を優先し、人の死んでいく姿はそのまま脇に追いやられて、ひた走りに進んできた結末がこういうことになっていると思います。
現実に、今、水俣の現地の状況というのは大変な状況になっていると思います。少なくともこの懇談会がこうした形で開かれること自体が、そのことが一番のきっかけになっているわけで、この懇談会が現実に水俣で今起こっていることと全くかけ離れたところで議論されるんだとすれば、懇談会そのものは無意味になってしまうと私は思います。実際にこういう形で現地水俣から私と吉井さん、そして、熊本から丸山先生が参加してくださっていますけれども、少なくとも今の時点でも一般的に得られる情報において、東京周辺に住んでおられる委員との間に差があると思っています。ここも埋めた上で、今後議論をしていく必要があるだろうとつくづく思います。


第6回会議録(2005.11.28)

吉井委員
申請をすると周囲から精神的な圧迫がある。これを恐れて申請を躊躇した。しかし、現在政治解決以降を見てみれば、患者さんは完全に市民の中に溶け込んで、そして生き生きと暮らしておられる。それを見ると、躊躇したのは非常に残念だった。いわゆる後悔がある。そのことが駆り立てたというのが、きょうの調査結果ですけれども、では、なぜかといいますと、やはり政治解決はこれで終わりというふうな国はお考えだったようで、その門を閉ざしてしまったということがあります。せめて、健康手帳なり継続をしておれば、今日の事態はずっと減ってきたであろう。このことが一つの教訓だと思います。

加藤委員
同じ食生活をしていて、同じ症状を持っていて、患者として認められる人と認められない人が地域の中に一緒にいるということ、そこのところがものすごく大きいと思うんです。だから、なぜ自分が患者でないのかということが、一人一人の被害者にわかりやすく伝わらない。少なくともそこを説得できるような、認定制度というのが確立されていないというのが、それが今も引きずっているというふうに私は思います。


第7回会議録(2006.1.17)

吉井委員
それから行政も積極的に手出しをしない。それは、中心になっている水俣病支援団体は、行政から見れば反体制だという潜在意識あり、反体制を育てることになるという躊躇があるからです。50年記念事業の中で、「ほっとはうす」を中心に、そういうものを打破していくべきでしょう。

加藤委員
生まれたときに彼らが人類に警告したとき、同世代に生まれた人たちに被害があることを同時に警告していたというふうに思います。この警告を早期に受けとめられていたら、今の水俣地域における3,000人に及ぶこの申請されている患者さんたちの被害というのはもう少し早期に解決できていたのではなかろうかと思います。というのは、前回の丸山委員の報告にあるように今回申請されている患者さんたちの年齢がそのまま胎児性の患者さんの世代に重なっているというふうに思います。この点からも今この50年を機会に彼らが訴えていることに耳を傾けてほしいと思います。


第8回会議録(2006.2.7)

吉井委員
第1点の再発予防対策でありますけれども、何で水俣病の対策はこのように誤ったのかという検証。ではどうすればよいのかということを考えるということだとか、たくさんございますけれども、その一つに、国の対策は、国の都合と論理で強行されたというのがあります。それから各省庁の内部調整が機能しなかった。そして一部の省庁が突出して独走したという点があると思います。そして情報の公開がほとんどなかった。いわゆる情報公開の責任、これがなかったというのが言えると思います。その反省として、やはり担当省庁の内部の検証がぜひ必要だ。しかもそれは公開をされなければならない。

加藤委員
特に、もう既に3,000人の方たちを前に、この人たちが死に絶えるのを待つのかということで、実際に地元で、原田先生を初め、医学者と弁護士の方が集まって、1月には新たな、認定と補償をそのまま直結させるのではない、新たな被害者の方たちの納得のいくような救済のありようを検討しようということで、まさに民間レベルで始まっているわけで、そこで今、私たちが、何もできませんでした、ここまで中途半端でしたということで終わるわけにはいかないと思います。この辺を環境省の方はもう一つ考えていただきたいところだなというふうに思っています。
何よりも、毎回の議論で思うのですけれども、非常に単純なんですよね。もう本当に単純なことがまかり通らないで、過ぎてきてしまった50年なんだというふうに思うんですね。同じような食生活をしていて、家族といえば同じような体質を持っていて、患者であるとないとがどこが違うのかという被害者の方たちの、この声がやはりそのまんまだと私は思います。それと、やはり真実を伝えていくということはすごい重みで、それをずっと水俣の中で、患者さんを中心にしながら、やはり水俣であったことをちゃんと伝え続けようということで随分いろいろと広がっていると思います。その中で、やはり皆さん、印象を持つのは、水俣病は終わっていないんですねという印象です。その辺を大事にしたいというふうに思います。


第9回会議録(2006.3.2)

吉井委員
当懇談会におきましては、認定問題については諮問しないということでございましたけれども、有馬座長の方で本日の懇談会で論議をするというご決定をいただいておりまして、これは非常に重要な決断だというふうに私は思います。それは、今までの論議を省みまして、行政の責任、反省すべき点、すなわち行政への教訓が数多く浮かび上がってきたわけですけれども、これらの教訓は、先ほど副大臣がおっしゃったように、今後に類似の公害の発生を未然に防止するという点、それから、不幸にして発生してしまった場合、被害をいかに最小限にとどめるかと、この面に生かされるということでございます。
しかし、当の水俣病問題は、50年を経ても現在進行形です。その教訓は、まず現在進行形の水俣病問題の解決に生かすべきだというふうに思いますし、また、現在進行形の水俣病に生かされない教訓というのは意味がないのじゃないかと、そういうふうに思います。このような観点から、当懇談会で水俣病問題の検証をする上で、現在の救済問題の行き詰まり、これをどう考えるかというのは非常に重要なポイントであるというふうに思います。もちろん、私、医学的に知識は皆無でありますし、認定問題を具体的に論ずる能力はない。これはするつもりはございません。また、当懇談会に諮られた課題でもないのでございますから、環境省におかれてそういう意見があるというご参考に受け取ってもらえれば、それで結構ではないか、そのように思います。
そこで、混乱している問題を少し整理をしてみますと、本来、患者救済というのは一本であるわけだというふうに私は考えております。時間の推移とともに原因究明や病状の研究が進んでまいりました。そうしますと、どうしても不合理や矛盾が生まれてきます。それを必要に応じて検討して制度を見直していくというのが必要であったろうと思います。ところが、固定化してしまって、執拗にこれの見直しを拒否してきたという経緯がございます。そこで不合理や矛盾の改善を求める声が大きくなってきた。その圧力を緩和するために、本来の制度を見直すことなく、その外側に新しい解釈をつけてきた。それで複雑になってしまったんじゃないか、こういうふうに考えます。今では理路整然とこれを整理するということが非常に難しくなってきていると思います。
また、認定審査会が機能していないというのがございます。三千数百人もの認定申請者が出ているのに、2年近く審査会が開かれていない。いわゆる不作為であります、異常でございます。認定審査会が機能しない理由、それは、委員の皆さんがご就任を渋っておられるというふうにお聞きをいたします。じゃ、なぜ審査会委員が就任を渋っておられるのか、ちゅうちょしておられるのか、その原因は何なのかというのが一つ問題であると思います。その原因を是正しないとできないのではないか。また、審査会が成立しても機能しないのではないかと、そういう懸念もございます。
それから、もう一方、訴訟する人々が増加をして1,000人近くなったとお聞きをいたします。かつての訴訟される人たちは、認定審査会で棄却された人たちが司法に救済を求めておいでだったんです。ところが今回は違います。今回は認定審査会を経ずして、直接司法に救済を求めておられるわけであります。そうしますと、認定審査会の存在そのものが申請者から無視をされた、否定をされたというふうにとることができるのじゃないかと思いますし、また、審査会が開かれて審査をされ、ところが、現在の状況を見ますと、水俣病と認定される人はごく少ないのではないかと思われます。そして棄却された人がほとんど。そうすると、棄却された人は保健手帳をお求めになるか、また訴訟に参加されるか、2つに分かれる。そうしますと、患者補償はもうすべて司法で、そして行政は健康管理だけという図式になってしまうおそれがございます。それでよいのかという一つの疑問があります。
私は、このような状況にどう対処するのかと、その考えられる対策の一つとしては、現在実施をされております新対策だけで、批判があろうが抵抗があろうが我慢に我慢を押し通していくという方法があると思います。被害者は昭和40年代前半で水銀に暴露された人たちでありますから、これから漸減をしていきます。それから、あと30年もすると被害を訴える人々はいなくなる。裁判闘争も10年ぐらいで終わるのではないかと思いますし、認定条件をいじくることで想定される混乱も回避できる。特に政治的最終決着についても触れることなく終わってしまうんじゃないか。年を経るごとに一般社会も関心が薄れる。それから、やがて自然消滅してしまう。こういうことを考えますと、水俣病問題を解決するのではなくして消滅させるという意味で、一つの現実的な選択でなかろうかと思います。しかし、これは国民的、あるいは歴史的批判に耐えることができるのかという重大な問題があります。それから、国の責任とは何なのか。環境省と国政の根幹が問われることになると思いますし、国際的にも先進国と言われている日本が恥ずかしい教訓を残したと、こう言われかねないというのもあります。
そこで私は、第4回に会議で提言をいたしております。繰り返します。それは、行政は、法律と権威ある審議会の答申を根拠にしてなされているというふうに理解をしております。これまでの水俣病対策も、いろいろと批判がございましたけれども、行政手法としてはそのように進められてきたというふうに受けとめております。その根拠の一つになっているのが、平成3年の中央公害対策審議会がございます。しかし、これからもう15年経過をいたしております。まさに説得力がなくなってきているように思います。その間に水俣病の症状、病状、多くの医学的研究が発表されておりますし、新しい医学的な知見を無視することができないのではないか。採用するか否かについて検討はすべきではなかろうか、こういうふうに思います。
また、最高裁判決で事態も大きく変化をしております。判決は認定条件を否定していない。司法と行政の認定条件は違ってもよいというご説明をいただいておりますけれども、しかし、否定はしていないが肯定もしていないのではないかなというふうに思います。これは、司法は行政みずから妥当かどうか判断しなさいよというふうに求めているんじゃないかなというふうにも思います。そこで、新たに公平で権威のある第三者機関を設けて検討をお願いしてはどうか。そして、その答申をいただいて、しっかりした新たな行政根拠に基づいた政策決定をなされるべきではないかという提言であります。その際、第三者機関には認定条件だけの諮問にとどまらない、制度そのものの検討をしていただく必要があるんではないか。これ以上混乱を増幅しないで決着できる道はないのか。50年の経験を生かした知恵はないのか。そのような幅広い論議をお願いし、答申を求めるべきではないかというふうに思います。
それから、審議会がございましたけれども、この審議会の構成、委員の選任については、ためにする委員会だとか御用委員会だとか隠れみのだとか、たくさんの批判が続出いたしておりますし、大いに論議になってきたところでございますので、委員の選任というのはすごく困難だろうと思いますけれども、その困難を避けては大きな問題の解決はできないのではないかと思います。一般論ですけれども、真摯に受けとめて公正を期した委員会をつくっていくというご判断が必要であろうと思います。このような順序を踏んで決定した解決策は、立場の違いで異論はあろうかと思いますけれども、やはり従ってもらえると、このように思っております。

加藤委員
そういう意味では、重い障害を抱えている人の問題とももちろん重なりはするんでけれども、水俣病をめぐる差別と偏見の中で、通常の障害を持つ方が経験しなくてもいい社会的な二次被害というのを大きく受けています。この方たちが今後水俣の中で過ごしていくときに、少なくとも患者だから得られるというような対策の中では、ますますまた浮き上がっていく。今後の対策の中で気をつけていかなければいけないのは、やはり地域全体を地域福祉ということでカバーできるような新たな対策を立てていただきたいなというふうに思います。その中には、多分他地域には見られない、水俣病をきちんと教訓に据えたところの地域福祉というものを打ち立てるべきだというふうに思っています。


第10回会議録(2006.3.20)

吉井委員
35年から43年のいわゆる空白の時代でありますけれども、これは、早期鎮静化という政治主導の目的がございまして、問題の拡大を恐れた水俣市、あるいは熊本県、それにチッソの操業を続けさせたい通産省、こういうものの思惑が一致して、そして漁業補償のあっせんとか見舞金契約とかによって、早期の鎮静化というのが一応成功したかに見えた期間だったと思います。その政治的な作為の陰で、能動性を失った不作為が重なった期間でもございます。厚生省の食品衛生調査会の水俣食中毒特別部会など、こういう研究部会を全部解散し、そういう研究の取り組みを全部やめてしまっております。それが現在の混乱につながっていると思います。そこで、行政は、政治的思惑とか政治的な動きとは別に、地道に科学的な調査あるいは原因の追求というのをやっていかなければならないということを非常に訴えている事件だと思います。

吉井委員
最高裁判決を踏まえ、反省と謝罪を前提とした水俣病対策をどのように考えるかという点でありますけれども、私は謝罪とは過去の非を認めることだ、そして謝罪によって敵対関係に区切りをつけることだ、そして新たな協調関係をつくりたいと、前向きの姿勢の表明だと思います。謝罪の内容は、何を非と認めたのか、何が間違っていたのか、これは具体的に言及されるべきだと思います。そして、反省すべき課題、検証課題が明確に示されなければならない。その反省というのは、過ちの実態を徹底的に検証する上になさるべきものだと思います。何回も謝罪をしたり、何回も謝罪を要求されたり、謝罪がもとで混乱したりするのは、その謝罪の要件が満たされていないからではないかと思います。
行政みずからが徹底的に検証する必要があると、懇談会で意見が続出いたしておりますが、これはなかなか難しいと思います。なぜ難しいかというと、第2回で指摘いたしましたけれども、現在の環境省は国を代表して責任を背負い、そして謝罪をされておりますけれども、環境省は拡大責任に罪もないのにしりぬぐいをしているというお気持ちがあるのではないか。それから経済産業省厚生労働省は、環境省という担当があるという気楽さがある。そして、続々と新しい事件が発生して、50年前のことにはもうかかわっていられないという空気があるような気がしてなりません。それは、公害で苦しんだ人は50年間苦しみ続けているわけですけれども、チッソの社長を初め幹部はもう何代もかわっているし、国は3年ごとにかわっておいでだから、その当時の人はもう過去の人です。それで緊迫感がない。それで事務的に処理される。そこにあるのではないかと思います。
それからもう一つは、個人と公人の使い分け、これが何とも不可解でならないものがあります。例えば、与謝野元通産大臣が国会で、「当時の通産大臣は企業責任、行政責任にぬかりがあったと反省しておられる」と答弁されておりますし、菅直人厚生大臣は、「歴代大臣はやめた後で、自分は責任を認めたかったが、なかなか言えなかったと言われるのを聞いている」という答弁をされた。そしてその上で、「行政は患者・一般人の感覚を大事にして、過ったと思えば変えていく勇気を持つべきではないか」と述べられております。なぜ歴代大臣が率直にその責任はあると私的には思いながら、公の場でこれが言えなかったのかです。大臣を縛っている、良心を縛っているのは一体何なのか。責任のある大臣の勇気をしぼませ、すくませた、その見えない呪縛の本体、これに光を当てないと、水俣病の本質は見えてこないのではないか、そのような思いがしてなりません。その本質とは何なのか。それは私にもよくわかりません。これはぜひひとつ内部で検証していただきたい。そのことが現在も続いているから、水俣病の問題は混乱していると思います。その根本的なものを解明していただきたいという気持ちです。

加藤委員
まず、きょう胎児性の患者さんたちが水俣から、この懇談会ではどういう話をしているのか、自分たちにかかわりのあることがどのように話されているのか、そのことをこの場に身を置いて聞いてみたいというお気持ちから来られています。そこに身を置かれているだけで、やはりこの懇談会で何か一つ発言するときに、その発言の重みを私は非常に感じます。そのときに、これから先、本来この懇談会に与えられた課題は、50年の節目で、少なくとも水俣病の51年目から混乱、困難をもたらさないということです。それは現実の問題を解決するということですけれども、このことがなかなか見えない中で、なかなか発言ができない。


第11回会議録(2006.4.21)

吉井委員
現状の問題点を見てみますと、司法で新しく申請者が訴えられております。この方々は、認定基準を見直そうが見直すまいが、裁判で示された新しい基準で救済されることになると思います。としますと、今、4,000人程度の新しい申請者がいらっしゃいますが、残った3,000人の人たちをどうするかという問題だと。その人たちを、認定基準を見直して救済するのか、それ以外に何か知恵を出して救済するのかということだと、突き詰めて言えば。そう思います。
認定基準を変えないで救済する方法は幾つも考えられると思いますけれども、そのときの必要条件は政治解決で和解を受諾した人たちにも配慮をする必要があると。政治解決のとき以上に困難性はないと思います。それはなぜかと言いますと、当時、国は第三者的立場にあったわけですけれども、最高裁の判決で加害責任を認められた。賠償責任を認められたわけですから、このあたりをうまいぐあいに知恵を出すならばできないことはないのではないかと思っております。

加藤委員
このことをもう一回整理して、水俣病とは何なのかということを新しい知見に基づいてきちっと定義づけていくことが大事なんだと思うんですね。そのことが即、48年に締結された補償協定の補償に結びつくというふうに持っていかなくもいいんだと思うんですね。現地で救済を求めていらっしゃる人たちから、補償協定による補償をしてくれという声が聞こえているわけではないと思います。そこは一たん、認定基準と直結してしまう補償の枠組みをもう一度考え直していく、とらえ直していくことも必要なのではなかろうかという声は既に上がっていると思うんですね。


第12回会議録(2006.5.26)

*1:水俣市長 インタビュー

*2:社会福祉法人さかえの杜 ほっとはうす施設長