食卓は語る<食DRIVE調査がとらえた現実>

 
http://adv.yomiuri.co.jp/ojo/02number/200309/09toku1.html
 
これって、かなりマズいんじゃないかなって思います。
が、それも「そう思ってるつもり」なだけかしら。
調査対象と同じ年代だし、テキトーで自分の好みで作ってるところは大きいし手抜きもしてるし
息子はくるくるしてるお寿司も好きで、偉そうなこと言えないんですけど、感じたこと少し…
 
「面倒」といえば正直そんな日はあります。でもやんなきゃしかたないもの。
コンビニ弁当とかカップ麺とかはダメなんです。嫌い。食べられない。
きれいにいえば「おいしい」て言ってもらえるのがうれしい、でしょうか。いえ、うつくしすぎますね(爆)
 

こうした現代主婦の傾向を、岩村氏は「正解主義」と呼ぶ。人に聞かれたら、実際は自分が本気でそうしているかどうか厳しく問い直さずに、思わず「正解」と思われる答えにマルを付けてしまう。調査に答えた後で「私の答え、合格でした?」と聞いてくる主婦さえいるという。
その「正解」は自分の確たる価値観ではないために、時間がなかったり、面倒になるとあっさり捨て去られる。
「家庭では野菜が不足しがちだが、子どもたちは給食を食べているので、『ま、いいか』と思ったりする」(28歳)、「日曜日の昼食は作るのも面倒くさいので、ハンバーガーショップでも『ま、いいか』と思った」(40歳)など、お決まりの「ま、いいか」で簡単に捨てられてしまう。
しかし、調査を子細に見ていくと、この「ま、いいか」というのは30代後半以上の主婦に多く、しかも、そう言っている主婦の方が食事内容は充実していることがわかってくる。彼女たちは、まだ、「ま、いいか」と言って自分の気持ちを納めずにはいられない「目標値」を持っている。若い主婦になると、「正解」をさらに軽い気持ちで発言し、寄せ集めの正解でその時々に無自覚に行動する。

 
キビしいですね。これはこわい、わかるからこわい…
食事についてをあっさり捨て去っていいとは思えない。でもハンバーガーも食べます。
私がしてやれることってこれくらいしかないし、すごく大事っていうのは譲れない(つもり)
食事だけはサボらないようにしてきました(できるだけ、なるべく、たぶん)
ううう、まるで記事の主婦と同じだわ××
毎日のことなので、私のしている程度(たいしたことないけど)なら慣れてしまえたり、です。
その慣れが思考停止につながりもするでしょうか…
 
 
「食べる」てなんでしょう。
たいせつなことだと思う。きちんと食べられるのは、とてもとてもありがたいこと。
だけど、生きるのに必要なものってこと、きっと実感できてないように思えました。
おいしくて感動するとか、食べてこころが満たされるなんてことも、そうそうないかもですし
文化とか伝統とかって考えてるわけでもない。
でも食べてるんですよね、毎日。なんとなく…
「効率」とかじゃなくて、もっと素直に、おいしいものを安心して食べられるならいいな。


身体のために食事はたいせつ。それならだれもがわかってるはずのこと。
なのに、これほど雑にあつかっているのはなぜでしょう。
関心がないわけではないでしょう。
テレビで「ポリフェノールがいい」て流れると、すぐにココアが品切れになったりしますし
お店でも「テレビで紹介されました」て、ちゃっかり張り紙してたりしますもの。
いま“健康”は、しっかり商品になっちゃってるように感じます。
それをいいとも悪いとも言い切れないけれど、この偏りはなんなのだろう。
とにかくラクに、ひたすら手っ取り早く、でしょうか。
もうちょっと真剣に考えてみることはできないかな。いそがしい、ですか…
関心もってみませんか、このままではきっとよくない。
 
 
すぐに結果がみえるのじゃないし、同じ食事でも結果に個体差はあるはずなんだけど、でもね
ごはんはちゃあんと食べる(少なくとも、そうしたいと思ってる)ほうが、いいと思うよ。
 
ううう、書くのじゃなかったかも、説得力なし××