米軍ヘリ墜落

 

米軍ヘリ墜落 沖縄の怒り頂点(東京新聞 2004.9.12)
 
「平和な島を返せ」。沖縄の人々の怒りが頂点に達している。
八月の米軍ヘリ墜落事故後も、宜野湾市普天間飛行場ではヘリの離着陸が続く。
一方、同飛行場の移設予定地、名護市辺野古沖では移設に向けた調査が強行された。
墜落現場の沖縄国際大学では十二日、「米軍機の飛行即時中止」を掲げた市民大会が二万人規模で開かれる。「基地をなくせ」。住民の要求は鋭さを増す。 (松井学)

ヘリ墜落事故で基地の危険があらわになる中、那覇防衛施設局は九日、米海兵隊のヘリ基地・普天間飛行場の移設予定地、名護市の辺野古沖での海底ボーリング調査に踏み切った。
この日は、作業の海域に計五個の浮標を設置した。調査は来年三月まで続く。
「ひどい事故が起きたばかりなのに、政府は辺野古沖移設で再び、沖縄を犠牲にして、日米同盟を守ろうとしている」。七月に革新共闘で初当選した糸数慶子参院議員(無所属)が現地で声を張り上げた。辺野古漁港前には県内外から四百人が集まり、二隻の抗議船と小型艇八隻を出し、作業船に調査阻止を訴えた。

あらためて経緯をたどると、普天間飛行場は一九九六年の日米特別行動委員会(SACO)合意で、代替施設造りを条件に返還が決まった。
代替地とされた辺野古沖への移設はすでに閣議決定もされ、県もこれに同意している。
しかし、今年四月に予定されていた辺野古沖での海底ボーリング調査は、建設に反対する住民らが座り込みを続け、開始できないままだった。
ヘリ墜落後の唐突な調査着手について、地元では「普天間返還問題で、移設しか想定していない政府の無策の表れ」(我部政明琉球大教授)と怒りとともに受け止めている。
墜落事故の現場、宜野湾市伊波洋一市長も、辺野古沖への移設では何の解決策にもならないと断じる。
辺野古沖移設には反対する。九六年の返還合意から八年経ち、さらに移設まで十年はかかる。明日にも再びヘリが頭上に墜落する危険があるのに、市民は一日も待っていられない」
自ら実行委員長を務める十二日の市民大会では、米軍と日米両政府に対し、「すべての米軍機の民間地上空での飛行を即時中止せよ」「ただちにヘリ基地としての運用を停止し、早期返還せよ」というスローガンを突き付けるという。
伊波市長は「墜落事故により、それまで基地返還要求には傍観者的だった市議会が一変した。
今回の大会実現には、市議会が『辺野古移設の再考』『SACO合意の見直し』という踏み込んだ抗議決議を示したことも大きい」と指摘する。
裏を返せば、市議会が看過できないほど住民パワーがわき上がったともいえる。
「それでも、県や日本政府はいまだに辺野古沖移設で普天間問題は解決できる、と強弁している。昨年、ラムズフェルド米国防長官が普天間を訪れた際、『歓迎されないところに基地は置かない』と明言した。
市民大会の成功は、同長官への明確なメッセージにもなるだろう」

墜落現場から約五十メートルのマンションに住む主婦木村順子さん(47)は「基地は要らない。墜落事故で羽根が飛んできた場所には、直前まで近所の子が遊んでいた。死傷者がなかったのは偶然だ。ヘリの爆音で、テレビも聞こえない暮らしが分かりますか」と語る。
やはり近所の主婦、崎間美智子さん(56)は「小泉首相はいまだに現場を見に来ていない。米軍に対してよりも、沖縄人の痛みを知ろうともしない日本政府に腹が立つ」と明かす。

ここに来て、住民は健康不安も感じている。
米国大使館は今月三日、事故機には放射性物質ストロンチウム90を含む回転翼安全装置があったことを公表したからだ。「現場に放射能汚染はない」と説明するが、放射性物質の一部は機体が炎上した際に燃えたとみられており、「気化した状態で吸い込めば体内被ばくする心配がある」(崎間さん)という不安を残す。
市民大会には墜落現場の沖縄国際大の学生も参加する。
「平和学」で知られる石原昌家・沖国大教授のゼミに加わる女子学生の一人は「沖縄は『軍事植民地』だという教授の言葉の意味が、ヘリ墜落事故で初めて分かった」と話す。
その石原教授は「軍事に頼らない安全保障がもっと語られるべき」と訴える。
在日米軍の基地をなくせと叫ぶと、現実を踏まえない話であるかのように言われる。でも、政治の意思次第で基地は整理縮小に向かうはずだ。沖縄の人の反戦、反基地意識が突出して高いわけではない。状況があまりにひどいので、本土の人には意識が高いように見えるだけのことだ」