着床前診断

 
これについては、私には2つの縛りがあるので、とてもむずかしいしくるしい…
でも、やっとちょっと書けるようになりましたデス。
 
産む産まないは、本人の意思がなにより尊重されるべきと思います。
ただ、着床前診断が女性の権利だという視点で語られることには疑問を感じるのです。
それも女性差別の裏返しであるような気がしてしまいます。
健常児を望む女性を責めても解決しないことでしょう、育てるのは母親だけではないのだもの。
 
考えなければいけないことはたくさんあるはずです。
「自己決定権の侵害だ」「生命の選別を許すな」とおたがいを責め合うのは、
女性にとっても障害や疾患をもって生まれてくる子どもにとっても不幸なこと。
医療として、どこにラインを引くのかを議論しなければいけないなら、いまはまだ
着床前診断は個別の審査のうえで慎重に実施する」というルールは守らなければいけないものだと思います。
技術的に実現可能になった今、医師は「患者のニーズに応える」と言えばいい。
そのニーズは、着床前診断を受けたひとだけのものでしょうか…

『人格』より『人材』づくり ヒトゲノムで選別も?(東京新聞特報7月29日)より


「国民の質を高める」教育基本法(教基法)「改正」を視野に政府が開いているタウンミーティングで、こんな発言が政府側出席者から繰り返されている。子どもの早期選別に「ヒトゲノム」の活用も語られ始めた。


「昨年、ヒトゲノム、(すなわち)私たちの体をつくっている遺伝子情報がすべて読みとられた。それは一人ひとり違う。その差は残念ながら持って生まれた遺伝子の組み合わせの差だ。(中略)そこをどう埋めていくのかが習熟度別学習であり、もっと伸びる子を伸ばす、それから今のままではついていけない子をどう救うか、が重要だ」


背景には財界の要望もある。ことし四月に出された日本経済団体連合会の「二十一世紀を生き抜く次世代育成のための提言」には「(日本経済が)グローバルに展開される競争を勝ち抜いて」いくには「トップ層の強化」が必要で「教育機会の均等は生徒・学生の個性や能力を無視した教育内容の均質化を招いた」との見方を示している。

 
これって、すごく気持ちわるくないですか??
いまはまだ医療と教育とでばらばらに語られてはいるけれど、いつかつながってしまうのじゃないかって。
「国際競争力を高める」のような経済的な要請のために、
あるいは社会にとって役に立つ立たないの判断基準で、子どもを先天的な要因によって選別することが
その手段の1つとして、そこに痛みがないかのように着床前診断が、あってもおかしくないかのようなムードに
なってしまわないかとこわいのです。
そのようなムードのなかで子どもは、障害や疾患がある子どももない子どもも、なにを学んで育つだろって…
大げさと思われるかもしれませんけれども、いま子どもについての問題は医療化されがちですし
子どもの資質に責任を求める視線があるから「不良品」なんて発言が出てくるのでしょうもの。
子どもの資質を責めることで、なにが変わるというでしょう。
 
 
先天性であれ後天性であれ障害や疾病はあります。健常者との違いはあります。
違いがあって“普通”な社会であるのは、あたりまえのことだと私は思うのです。