神保・宮台マル激トーク・オン・デマンド

 
『第129回 ナショナリズムのゆくえ(2003.9.5)』について。
 
神保・宮台マル激トーク・オン・デマンドは初めてみたんですけど、おもしろ♪
でも1年前の番組なんですねえ。
 
『ぷちナショナリズム症候群』は読んでいませんが、最近のナショナリズムへの志向を、
香山リカさんはシンドロームの症状行動的だと捉えています。
これは、アメリカ大統領選について姜尚中さんが書いていた記事

わかりづらいのは、多くの米国人が宗教的原理主義の殻に閉じこもり、絶対的な価値の世界に避難所を求めようとしていることである。いまや「福音」こそが、公共の価値や道徳をめぐって「分裂するアメリカ」に統一をもたらすと信じられているのだ。「ブッシュのアメリカ」は、このような草の根の保守に支えられているのである。
それは、グローバルスタンダードの競争社会に疲れ果てた「アメリカの弱さ」の表れと言えなくもない。
朝日新聞(2004.11.14)より

の指摘と通じるようにも思いました。
 
香山氏は「時代の病理に個人の病理をみてしまうのは危険でもある」としながらも
「もとは自分の内にある不安を外在化して打ち消す」ための1つとして
ぷちナショナリズムが蔓延しているのであって、それはべつに国を憂えたり歴史を検証した
思考のなかから出てきたものではなく、症状行動的なものにすぎないと考えているそうです。
その症状行動のもとにあるのが「圧倒的な自己肯定感の欠如」といいます。

安全性への強い欲求と自己肯定感を得たいという強い欲求から非寛容になっている。
けして強い自己肯定から異物を排斥するのではなく、他者を否定することによって自己を肯定する。

 
自己肯定できないでいれば、自身の内にある矛盾や不安と向き合うなんてできないのでしょうね。
だれも、そんな強くないでしょうもの。
情報があふれかえったなかで「ま、こんなもんか〜」くらいにでも
自身を受け入れてやれないのはキツいだろうと思います。
いま、自己肯定感をもつのはむずかしいでしょうか。なにが足りないだろうと、いつも考えます。
「私は役立たず」とか言われると、もう泣きたくなってしまうのです…
 
宮台氏が「社会の流動性が高まれば入れ換え可能性が高まる」つまり「べつに私じゃなくてもいい」
ということだと言っていました。
うう、社会流動性が高いってそういうことなんですね××
代わりはいくらでもいて、だからだれもみな「かけがえのない存在なんだ」なんて思えない、ですか…
そのような自己肯定感をもつよりまえに、能力による選別への自他の両方からの
どうにも過剰な要請にさらされてどこかに【使い捨てられ不安】みたいなのはあるのじゃないでしょうか。
だからさっさと「どーでもいいや」か、ぎりぎりまで「がんばらなきゃ」に
なってしまいがちなんじゃないかなと思いますデス。
「能力があればどこにでも行ける」
そうなのでしょう。でも、パキシルがブロックバスターになってる世界で
「キュークツじゃない」て言えるでしょか。*1
 
 
やっぱり習熟度別授業はマズくないですか…
自己肯定感もつのがますますむずかしくならないでしょうか。
子どもにとって学校はとても大きなものですよ。
たとえ行かないことを選んだとしても、です。
それとも分けられたなかでは十分に自己肯定できて、そのほうがいいかな…
私は、それがベストとはいえない気がします。どうなのかわからない。
ただ、いま子どもは自己を肯定するのに必要なだけを受け取れていない気がするのです。
そのうえ能力による選別とか効率化を優先してしまえば、どうなるだろう。
その結果「社会のルールを守ることにも意味がない(宮台氏)」気持ちになるなら、
学校としても困るでしょ。
どちらが“得”ですか??
流動性があるっていうのは「経済にとっては合理的な側面がある(宮台氏)」でしょうから、
簡単には否定できないのじゃないかと悲観的になってもしまうけれど
「自己肯定感がなければ、自分にとっての“得”を選択することすらできない(香山氏)」

なら、あまりに不自由だろうと思います。
 
10月に来日したフィンランドのタルヤ・ハロネン大統領は大学までの学費を無料にするなど

教育を重視している政策について、日本メディアとの会見でつぎのように話しています。

すべての男女に教育を施せば、男性だけの国の2倍の競争力がもてます。貧富の差なく教育を施せば、それだけ競争力が高まります。グローバル競争のなかでも、福祉社会は重荷ではなく、資源なのです。

高福祉と高負担に基づく教育立国、だそうです。
このように、明快に社会についてのなんらかの価値を示してやれない後ろめたさはあります。
自信がなくて不安に流される。だから「学力低下」といわれれば、はっきりしたヴィジョンもなしに
「習熟度別指導歓迎♪」になってしまうでしょうか。それでいいとは思えないけど。
 
 
それにしても、なんですけれども、
「たとえ敗れても、そこに詩があれば本懐を遂げたことになる」がエクスキューズって、コワれすぎっ
そんな歪んだ精神主義的な美意識がとおってしまうのは、戦争だから、でしょうか…
 
 

swan_slab 『宮台氏が最近さかんに言っているのは、藤原帰一氏との鼎談本の影響もあってか、次のようなことです。「アメリカは社会がどうなろうが神との絆はきえない。プロテクション装置があるせいで、かれらは過剰流動性に耐えられるし、逆境に耐えられる。むしろ逆境に耐えるというところから相互補完的にピューリタニズムの自己評価が行われてきてここにいたっている。アメリカはその意味で特殊。彼らはふつうの人間だったらまいってしまうような流動的な環境にも抽象的な宗教国家性ゆえに適応できちゃう。一方、そうした宗教性を持っていない人間は、流動性がある閾より高くなると適応ということを正当化する主体性はむしろ空洞化しちゃう。何のためにルールを守っているのか、そもそも何のためのゲーム(市場主義的な市民社会)だったのか分からなくなる」という。』(2004/11/25 00:01)

chisya 『特殊って…
宗教が精神的な依りしろ(宮台氏はこう言ってました)になりうるのはわかるけど、そんなモンスターみたいになれますか。』(2004/11/25 22:47)