代弁すること

 

http://d.hatena.ne.jp/lessor/20050407/p1
そして、障害特性ゆえに知的障害者自身が職として研究者をする、ということも、極めて難しい。厚生労働科学研究の分担研究者に施設長の名前がずらりと並ぶこともあるが、そこで求められるのは運営レベルの話もさることながら、本質的には当事者の思いの「代弁」だろう。しかし、支援者は狭義の「当事者」にはなりきれない。それは親であっても、同じことだ。

http://d.hatena.ne.jp/jasmine156/20050512/p2
常々なぜ知的障害者福祉に比べ身体障害者福祉の施策・運動が進んでいるのか疑問に思っていた。その大きな理由の一つが、当事者たちが自分の言葉をもっているという点なのだ。

http://blog.goo.ne.jp/kartoshka/e/da3105fed3f2a53ae571f7a52b72c1ed
知的障害者を施設に預けることにはどうしても罪悪感がつきまとう。それは100%相手の気持ちをつかむことが出来ないからである。何が本人の幸せになるのかなんて結局のところ分からないのだ。だから周囲の人間は、「おそらく、〜〜するのがよかろう」と推測して物事を運ぶしかない。常にどこかしら居心地が悪いのである。それでも家族はどこかで「決断」をしなければならない。