沖縄


沖縄戦60年
朝日新聞(2005.6.18)より

父は米軍嘉手納基地の軍曹で、1歳の時に母と離婚して帰国。大黒柱の祖父はサイパンで戦死し、祖母は幼い子どもたちを抱えて沖縄地上戦の中を逃げまどった。母は戦後、苦しい家計を助けようと一緒になったようだが、祖母も母も、当時のことはあまり語ろうとしなかった。
読谷村の小さな集落だけでも、米軍人を父に持つ子どもは何人もいた。戦地から戻った男たちの中には、敵であった米兵の家で、ハウスキーパーとして働く者もいた。本土から切り捨てられ、だれもが生きることに必死だった。


中高生のころ、本土復帰前の島の人たちの間には、殺人や死亡事故を起こしても無罪になる米兵への怒りが渦巻いていた。私も反戦平和運動や集会に出かけたが、反米感情や戦争への憎しみだけではなく、52歳になった今では許せると思える父への恨みや憎しみも参加の原動力になっていた。


私は戦争がなければこの世に存在さえしなかった。そんな私の出自の憎しみを乗り越えて歌う歌や語る言葉を通じ、一人でも多くの人に平和の大切さが伝わればこれほどうれしいことはない。(新垣勉さん)

 
誘われても「観光になんて行けないよ」て言ってたひとがいました。
それを、お年寄りのおセンチだとか目を背けているだとか、私には言えません。