読谷村民2500人が語る地上戦

 
18日放送のNHKスペシャル『沖縄 よみがえる戦場−読谷村民2500人が語る地上戦−』
みました。
村民1人ひとりの実態を残そうと行った村史作成のための聞き取り調査には、12年かかったといいます。
でも、なかなか言葉にならないひとも多く、無言のままテープだけまわっていることも多かったそうです。
 
知花カマドさんは、戦後、米軍基地で日当28セントの日雇い労働をしながら4人の子どもを育ててこられました。
知花さんは米軍上陸の翌日、チビチリガマの集団自決で長男を亡くしたことを家族に話してこなかったそうです。
ガマのなかで次々に亡くなっていくひとを見て
「うらやましかったよ、そんな早くに死なれるひとが」と思っていたと話していました。
「60年と言うてもね、おとつい昨日にしか考えられない、このつらさは」
 
 
すべての住民を巻き込んだ地上戦と、占領統治と、その記憶とともにきたこれまでと
「基地の中に沖縄ハアル」いまと。
話せることより話せないことのほうが、多いのかもしれません。
けして沖縄の問題でないことはわかっていても、記事を読んだり番組みたときだけ考えれば
あとは忘れてもいられる私に、その痛みはわからないのでしょう…
わからないということを、私にはどうすることもできません。沖縄に行ったことはないし
行けばなにかわかるのかどうかも、わからない。
負わなければいけないなら公平であるべきという理は、どうしたら取り戻すことができるのかもわからない。
ただ、こうして私と温度差があることの理不尽さだけはわかる。
 
だから明日が沖縄の「慰霊の日」でないことを忘れないように書いておきます。

沖縄ニ基地ガアル イヤ ヘリ墜ちる基地の中に沖縄ハアル(新垣秀雄さん)
記憶 戦後60年 沖縄戦3(東京新聞 2005.5.4)より

 
 


ネムノキが咲いています。ピンクの綿毛みたい。
夜、葉を閉じてしまうのが、なんだかさみしいです。