自衛官ら「私的」慰霊祭沖縄タイムス 2005.6.23)
同団渉外広報室によると、慰霊祭の開催は、五月中旬から駐屯地の掲示板に張り出すなどして隊員や防衛協会などに参加を呼び掛けた。各自が現地集合し、指揮官が号令をかけて行う公的行事ではないとしている。
慰霊の日に関しては、七六年に約千人が参加し、夜間行軍訓練を兼ねた慰霊祭を摩文仁で一度開催したが、その後中断、昨年からこうした催しを再開しているという。
陸上自衛隊の慰霊祭の開催について、安仁屋政昭沖国大名誉教授は「当時の天皇の軍隊は住民を守らず、共生共死を強いた。自衛隊皇軍に共感を示し、慰霊祭を開催することは本物の軍隊になろうとしていることを行動で示している」と非難した。

「軍官民、共生共死の一体化」と動員された最年少は、読谷村民の証言では、11歳。
スパイ容疑で処刑された父親のひざの裏が、「日の丸だ」と500円玉くらいの大きさで丸く
くりぬかれてもいたというひともいました。
「沖縄を守るために戦った」と聞くのは、とてもつらいです。