ブログ

 
書いてれば社会のこと考えてるふうで自分が気持ちいいとか、そんなでもないです。
どーせおバカは承知だし、読んでもらったりとかしたいのじゃなくて
私の偏りを意識するのには便利だから。だからムリしてつなげなくても、ばらんばらんのメモでいいやって。
 
迷えるというのは幸運なことでもあります。だから、だれにでも話せることじゃない。できない。
 
古い日付のは、テキストに溜まってたのを移してみました。全部じゃないけど。
やめればいいじゃんって思いながら書いてる、自分でもよくわからない
「いつでも、やめられる」それだけのこと。

 
 
ブログ論みたいなのは、ほとんど読んでません、タイトルざっと見るだけ。
関心ないこともないけど、あまりに量が多いので。
そんなで言ってはいけないのだけど、
これで生活がなにか変わるかもだし、変わらない範囲にしておくのもよしなんだろなだし、
そうやって少しずつ変わっていくのかもしれないけれども。
小学生が書くのもべつにわるいとは思わないけれど(それほど急ぐこともないですけれど)
ただ、なにか困ったとき相談できる大人が身近にいることは必要だと思います。
子どもが大人に「たすけて」て言えること。
親じゃなくていいし、ブログのことよく知らなくてもきちんと話しを聞いてくれるひとがいること。
マナーとかリテラシーとか教えることは大事でも、やってみないうちから「アブないから気をつけなさい」て、
子どもにはあんまり意味ないんです。「しつけ」て習慣であってこそ、ですから、やってみなければ身につかない。
だから、かならずトラブルはあるし失敗はするでしょう。
でも「たすけて」を言えない子どもが多かったりするし、それは大人のせいというとこもあるし、
大人の善意だって正しいとはかぎらない。
て、けっきょくブログだからってことじゃないですね…
 
 
でも規制をかけても次が巧妙になるだけでトラブルは減らずに自由度が減っただけみたいになりかねないのに、
子どもの利用が増えてなんらかのトラブルもまた増えたとき、「子どもを守れ」なかけ声で規制が厳しくなったりは
ちょっと不安かな。むずかしいけど。うーん、ノンキかな??
見せたくないのは多いし、「おさそい♪はスルー」て言っておいてもクリックしちゃうんだろな。
だけど悪意もトラップもお商売もありありで、どうやったって絶対安全にはならなくても、でも必要とするだろうもの。
海に出るまえにプールでトレーニングってわけにもいかないんだろな…

 
わ、ゲッコーステイトもキーワードだ。びっくり。