To err is human.

 

術後の死:遺族が納得しなければ、病院は警察に届け出よ−−医師と法律家が提言(毎日新聞 2005.10.10)
異状死の範囲は、広く解釈すると病院の負担が重くなり、甘くすれば医療過誤の隠ぺいにつながる。日本法医学会は94年に「診療行為中または比較的直後の急死」はすべて、過誤や過失がなくても届け出るべきだとのガイドラインを発表した。

三者機関による医療関連死調査モデル事業は、5年の試行を経て全国で実施される予定とのことだけど
それまでは警察へ、ということかな??
 
「異状死」ガイドライン
声明 診療に関連した「異状死」について
「医療被害防止・救済センター」構想について
 
6月に公表された「異状死等について ―日本学術会議の見解と提言―」より。
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一方、実際の医療の現場にあり、数多くの死に立ち合う医師、看護師などが共有する考えは人の死とそれに到る病気の経過は個人によって多様であり、病死という事象は法医学会のガイドラインに示されたようなふつうの死のごとく狭義に割り切れるものではない。なぜならば、一つの病気には例え低い確率であったとしても、現に診断されている病気に加え医学的に合理性をもって説明しうる突発的な併発事象や合併症が発現し、ときにそれが死因となることがあるからである。例示すれば肺気腫症における気胸、腎疾患における急性心停止、高脂血症動脈硬化症における脳卒中心筋梗塞、下肢血管炎における肺梗塞など枚挙にいとまがない。
特に、患者個々にもとづく自己決定権や個の医療という考え方が生じた今日、その経緯は益々多様化するものみられる。一般に、死という事象は、何人の上にも例外なく厳然と訪れるものであるが、それに到る経緯は人さまざまである。仮に病死のみをとっても経過の途上での病態変化による突然死や個人的差違に基づく原病経過の多様性などがみられ、死の到来の時期やそれに到る経緯を確実に予測することは難しい。さらに、人が死亡するような病態にあっては、必ずしも診断されている病気で死亡するとは限らず、複数の併発事象の発生や原疾患の進展経過からたとえ低い確率にせよ予測されうる突然の事象や疾患の発生、あるいはそれまで隠れ潜在していた病態の突然の顕性化など、診断する間もなく死亡することも少なくない。特に高齢者、あるいは難病を負いつつ低い QOL(quality of life)ながらも延命している症例が増加しつつある今日、経験的にも何時、何が起こって死亡しても不可思議ではない症例が少なからず存在する。

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むしろ従来は診療行為に関連した死亡があったとしても、医師の善意によるパターナリズムの中で処理されていたのではないかと考えられる。それゆえ日本法医学会が医行為中あるいはその直後の死をもとり上げ、ガイドラインとして明記したことは今日の世情に照合し一定の評価に値するものである。
一般に医行為あるいは医療行為自体は、投薬・注射・検査・手術などを含め、基本的には人体を損傷する危険があるものである。このことは、医療従事者はもとより、患者及び一般社会人も互いに認識しなくてはならない原則である。このように、危険性が潜在する医行為が医師に許容されていることは、医師法における医師免許によって法的に担保されている。しかしながら、これら医行為の実施にあたっては、対象となる患者の病状に対し常に患者の立場からの risk benefit-balance を比較考量することが当然の責務である。特に侵襲的な医行為を施行する場合は、緊急時は例外としても、その医行為の意義、当該患者にとっての利益や危険性、代替方法、費用などもろもろのことを説明し、対象となる患者あるいは家族の理解と同意を得て実施されるべきであり、またこのことは近年特に重要視され、現に実行されつつある。すなわち informed consent の実施である。

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医行為そのものは一定の資格と専門性を具備した者により行われ、それゆえに、一般人が立ち入ることのできない密室性が問題とされがちである。確かに、1970 年代を境に核家族化が進むとともに、人の死を迎える場所が家庭という開放的な環境から病院(室)という閉鎖的環境へ移行した。したがって今日、家族の多くが、入院から臨終まで終始立ち合い患者の世話をするという機会は乏しくなっている。すなわち、家族からみれば、塀をこえて隔離された病院の一室に患者が存在するわけである。このような環境は、特に容態の急変が発生した場合、医療過誤などを含めて、その原因を隠ぺいしているのではないかとの疑惑が生じ易いことは否めない。加えて、近い過去における医療訴訟を顧みた場合、捜査や係争の途上で初めて、明らかな医療過誤の隠ぺいが浮上した事例もある。従来の届出義務が、消極的に運用されていたとは言え、このような事例は、医師がすでにその時点で認知していた医療過誤による死亡を警察へ届け出なかったととらえられても仕方がない。こうした事例が、医療の密室性や隠ぺい性という疑惑をさらに助長していることは、推測に難くない。一般に自己の過誤を隠ぺいしたいという気持ちは、医療従事者の有無を問わず多くの人間が有する性である。これに対して、理性ある人格、隠ぺいに対する社会的制裁あるいは周囲の目がその行為を規制しているものといえよう。

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裁判は、いわば all or nothing の裁定を行うものであり、医療関連死に伴う様々な問題をすべて解決できるものではなく、また、しようとするものでもない。
一般に医療訴訟は病院に行けば治ると思った患者及び家族がその期待感を裏切られたという無念さ、さらには病院側の対応への不満が素地となっており、患者側の思い入れが強い点に特殊性があるといわれている。そして裁判を通じて医療者に対し恨みをはらす、また患者・家族の救済を要求するのみならず、医療事故の再発防止を願う思いを持って係争されている。裁判はしかしながら、医療事故の再発防止のために自然科学的因果関係を探求すること自体を目的とするものではなく、発生した損害を加害者と被害者にどのように分担させるのかについての法的な、社会的な判断を行うものである。裁判は、医事紛争の解決を通じて医療事故、医事紛争事例を収集、分析して再発防止のための知見を提供しうるというものでは決してないのである。以上みてきたように、医療関連死に関わる諸問題に総合的に対応するためには、医療関連死の事例を集積しこれを科学的に分析し、その再発の防止を図り、また医学的に公正な判断のもとに医療過誤のない場合を含めて広く被害者救済を進めることを目的とする第三者機関の設置が望まれるところである。この機関においては、医療関連死に関して事例集積のために医療事故報告の推進を図り、その内容の専門的調査と科学的分析、その結果による再発防止方法の検索が進められる。また 調停など裁判以外の紛争解決手段(ADR)を整備し、明らかな医療過誤に関してこの機関から被害者に補償し医療者に求償するなどできるだけ迅速に、かつ、有効に被害者を救済する制度を構築し、また、過誤によらない医療被害者に対しても労働者災害補償保険制度に類似した制度の考案などそれに応じた救済制度を導入するものとする。

 

東京女子医大医療事故で和解(読売新聞 2005.1.31)
今回の和解は、ADRの基本である「対話」の大切さを再認識する契機になった。米国の調査などでも、医療の質そのものよりも、医師と患者の関係、コミュニケーション不足が紛争化する大きな要因になることは明らかだ。

裁判外紛争解決(Alternative Dispute Resolution)

司法制度改革審議会意見書(抜粋)

ADR(裁判外紛争解決)についての意見(日弁連 2002.7.22)
他方で,ADRには紛争の自治的解決という名分のもとに,力の強弱による紛争解決,情実による紛争の封じ込めといった前近代的な紛争解決手段に陥る危険性をはらんでいる。ADRにおいて,公正・中立・透明性という理念を貫徹するためにも弁護士が手続担当者としてあるいは機関の運営者として積極的に関与することが望ましい。

 
インフォームド・チョイス、自己責任…
医療が、患者にとって信頼できるものであってこそだと思います。
 
 
 
ん、自然な死とはどんなだろうって思ったりする、ときどき。