若者の人間力を高めるための国民宣言

 
http://www.mhlw.go.jp/houdou/2005/10/h1004-1.html
厚労省ですね、イベントとかしてるみたいです。

「若者の人間力を高めるための国民運動」と、「若者の人間力を高めない非国民運動」(目に映る21世紀)
体制から「君は自分の人生のことだけ考えていればいいんだよ、私たちはそれを応援するよ」等と言われることこそが、洗練された管理を強く実感させられる機会だからね。

こゆうのわかる、いつも引っ掛かる。だけど

ニート“先進地”の対策(読売新聞)
各国に共通しているのは、職業訓練や仕事の紹介といった従来型の失業対策では不十分だという認識だ。「問題は、未来への希望を失いがちな15%の若者が、公的支援との接点を持たないことだ」と、オランダ社会福祉スポーツ省のサンダー・バンド若年政策担当調整官は指摘する。

ニートかホームレスか(コラムに乾杯!)
 
とか読むと全部ダメとも言えなくなってて
それでも「人間力」てなんだろなだし、「国民宣言」もびみょーに気持ちわるいし
でも、「若者の人間力を高めない非国民宣言」てセンスもなんだかなだけど
finalventさんのエントリも、なにがいいたいのかよくわからない…
だけどブックマークには、もっとびっくり。
http://b.hatena.ne.jp/entry/http://d.hatena.ne.jp/finalvent/20051030/1130682434
 
「高めるための国民宣言」にも「高めない非国民宣言」にも、どちらにも
共感しきれないでいるひとが多いのじゃないのかな??
そんなとこを掬う言葉って、たぶん宣言したりするものじゃないんだとは思う…
 
 
なんとなく、行政の企画の底には「ニートの根性をたたきなおす」はありそうで

働く意欲のない「ニート」は10年前から増えていない本田由紀さん)
ニート」が約85万人というのは、(2)「非求職型」と(3)「非希望型」を足した数字です。その中で増加傾向にあるのは、希望しているが仕事を探すところまではいっていない(2)「非求職型」なのです。「ニート」は「働く意欲のない若者」の問題と見なされがちですけれども、「働く意欲はあるがそれが実現していない若者」のほうが増えてきているのです。このような動向は、どう見てもディマンドサイド(労働需要側)の変化、労働市場の問題と切り離せないと思います。少なくとも10年前から見る限り、(1)「求職型」と(2)「非求職型」がこれだけ増えているのですから。(3)「非希望型」の人は従来から一定数存在しており、最近とくに増えているわけでは決してないのです。
昨今の「ニート」についての議論や世論にやや疑問を感じるのは、若い人の側(サプライサイド)の問題として語られ過ぎているのではないかということですね。もっと広い視点に立って、ディマンドサイドからも捉えることが必要でしょう。「ニート」本人の意識とか、コミュニケーション能力、学力、働く意欲などという視点から見るだけでは、実態からずれてしまうのではないでしょうか。

こゆうのとはズレてる。
内閣府では「ニュートラ:適性・適職診断」なんてのもありましたね。

http://d.hatena.ne.jp/dice-x/20050909#p2(思考錯誤)
心理学がアルゴリズム化され、情報技術によって実装され、ネタとして消費されるなかにも、(たとえばさしあたりは政府機関に帰属させうるように思えるような)権力が作動していること。
規律訓練型権力環境管理型権力の混淆体が「ネタ」的なかたちをとるときに「マジレス」することの隔靴掻痒感。
それはいわゆる「国家権力」と名指してよいものかどうかもわからない。