問われているのは

 
障害者自立支援法についての記事では
いつ自分や家族が事故にあったり病気になったりして後遺障害をもつかもしれないし
健常者にとってもこの法律は他人事ではありません
みたいに書かれるひと多いですね。
そのとおりだし、とても正しいことです。明日のことはだれにもわからないのだもの。
それでも高齢者をべつにすれば、結果論ではあっても障害に関係なく暮らせるひとは多いでしょ。
ですから、そゆうので医療保険介護保険とはちがうと思います。
だれにとっても他人事ではないけれど、でも、たとえ自身や家族は一生関係なく過ごせるとしても
障害や疾病をもっているひとと、ひとつの社会のなかでどのようにいっしょに生きていくのか
を、あえて問わなければいけないのではないかと思うのです。
「あなたも他人事ではありません」は、ほんとに他人事でないひとにしか響かないんじゃないかな
たぶん。
 
 
医療依存度の高い子どもを育てたり、仕事を続けながらパキシル服用してるような現実のくるしさに
支援することができない制度に、どうしてしなければいけませんか??
「持続可能」にするために「軽減措置のうえで取れるところからは取る」制度で
その「取れるところ」に当てはまってしまうことだけで負担を求めるのが公平な制度ですか??
これまでもけして充分といえなかった制度が「持続可能」かどうかを突きつけるのは障害者にではなく
まず行政に対してでなければならないはずです。
 
まったく負担をなくせばいいと言いたいのではありません。
それもまた、選択肢を少なくすることにつながるのはわかっていますから。
でも、なぜ決まってもない介護保険との統合を見据えた定率負担としなければならないですか。
そんなの行政の身勝手で、障害者福祉を軽んじているようにしかみえません。
こまかい軽減措置が考慮されているとはいえ、応益負担を基本にするのはおかしいと思います。
「あなたも他人事ではありません」が、他人事でないひとにしか響かないとしたら、私は
共有すべき理念は大事にしなければいけないと思っています、キレイゴトだと言われても、です。
それを壊してまでの、この法律の「自立」がなんなのか、私は、まだわからないのです…
なにより「社会保障費抑制」であって、理念なんかどーでもいいのなら
もっと着床前診断があたりまえになって「選んだわけではない」が意味を失くしたときには
どのような言葉を探せるだろって。
 
「障害者も働ける社会を」といわれます。
「手厚く福祉をあてがわれて黙っていればいい」なんて思ってませんし
障害や疾病があっても、環境が整えば働きたいと望んでいるひとはいるでしょう。
だからこそ、基準も負担も健常者がスタンダードでは理不尽だと思うのです。
学校でも会社でもスタンダードはいつも健常者にあって、効率的であることや競争力が求められて
それもまた社会として必要であって否定できない、なくしてしまうことはできないなら
それなら、そんななかでの困難を障害者本位の福祉制度で補うのは当然すぎることではないですか??
そうしてさえあれば健常者がスタンダードな社会のままでいいと言いたいのではないです。
だけど一方的に片方だけに努力や苦労や出費を強いるのは不公平ですよ。
いつになっても環境が整わないのは、福祉に保護されることに甘んじてきたからだというまえに
健常者基準の価値観を変えることができるかどうかを、健常者が自らに問わないでいるというのも
やっぱり不公平だと思います。
 
障害や疾病をもっているひとと健常者と、おなじ社会のなかで生きていくためになにが必要か
とか、学ぶ機会はほんとうに少ない。私だってそうです。知らないことばかり。
身近に接することがなくて、お互いのちがいに引き裂かれて、なにも変わらない。
それでは、法律は急いで作ることができても変わらない社会でますますくるしいのは、より弱いほうでしょ。
でもそれがどれほどむずかしいだろうって。
だから、こんなこと書きながらいつも逃げ出したくなります…
問われているのは社会のありかたであるなら、だれにもどこにも逃げるところはないって
わかってる。うまく書けません。