リスクマネジメント

arcturus2006-07-13

 
医師のための入院診療基本指針虎の門病院
小松氏はこのガイドラインを、患者の安全のためでもあり医師が医事紛争から自らを守るためのものでもあるといいます。医師にとっても紛争は不幸なことであって、だからこそ、というのはとても正しいと思うんです…


このガイドラインのねらいについて話されてたもの。

明文化すれば議論が可能になり、外からの批判も受けられる。これまでは医師に他者の意見を聞く能力が不足していた。医師に「批判受容力」をもたせることが医療の透明性を高める第一歩だと考えている。


朝日新聞 2005.12.22)


 
http://d.hatena.ne.jp/arcturus/20060323 から、つながってないままだけどメモ。
慈恵医大青戸病院事件―医療の構造と実践的倫理』より。
 

現在、医療の安全が厳しく求められるようになり、各病院でリスクマネジメントの取り組みが本格的に実施されるようになった。医療のリスクマネジメントの領域では、医療事故は複合的原因で発生するとされる。また、人間は間違えると言うことを前提とする。医療事故の当事者はたまたまその場に居合わせたに過ぎないことが多い。他の誰かが当事者になったかもしれない。このため警察のように個人の責任を追及する立場は取らない。個人の責任を追及しすぎると、隠蔽することにつながる。隠蔽は安全を阻害する。あくまで事故防止が目的である。事故防止のためには、事故の要因を分析し、可能な限り、事故の要因となっている条件を潰していく。間違えようとしても、間違えられないようにするのが理想である。医療事故調査委員会にはリスクマネジメントの考え方が求められる。

医療事故や医療過誤を警察が刑事事件として扱うことは適切でないと考えている。警察は医療の適否を判定するだけの専門的知識を持たない。また警察の捜査手法は医療現場の捜査にはなじまない。そもそも医療はシステムとして機能しているのに対し、刑法は個人の罪を扱う。刑法はシステムの問題を扱うのに適していない。航空機事故では責任者への報復より、再発防止が社会にとって重要であるとの理由から、世界的に警察ではなく航空機事故調査委員会が事故の原因究明にあたっている。医療事故についても同様の中立的専門調査機関の設立を望むものである。医師の処罰も、報復ではなく、再発防止、医療水準向上、医療制度保全の観点から行われるべきである。また、いくら安全対策を講じても、人間は過ちをおかす存在であり、医療事故がなくなることは考えられない。補償についても社会全体で被害者を救済するような方向での検討も行うべきである。ただし、救済すべき事故被害と、本人が傷害保険や生命保険で対処すべき人生に不可避のリスクとの区別は、非常に困難になる。

システムとしての医療を監視し、医療の質の向上と安全を図る強い権限を持った専門機関が必要である。医療事故は個人犯罪ではなくシステムエラーとしてとらえるべきである。対策には病院に対する改善命令や処分、医師に対する免許の停止や制限、再教育が組み込まれなければならない。医療費は年間30兆円を超える。この巨額の事業を適切なものにするためならば、調査監視に0.5%程度の費用をかけることをためらうべきでない。年間予算1千億円規模のしっかりした調査機関をつくる必要がある。
現時点で真摯な努力をしなければ、日本の医療は荒廃に向かうと予想する。

生きていくにはリスクを伴う。過失を伴わない身体障害は、現在のわが国の社会制度では、自分で金を払って、疾病保険、あるいは、生命保険で対処すべき問題である。保険会社は危険を具体的数字として計算して、損失が出ないような商品設計をする。手術前に保険に入ろうとすると、病状や手術内容にもよるが、望む保障金額に対し、かなり高額な支払いが要求されると思う。
過失の有無を問わず、医療事故も合併症もすべて誰かが補償すべきであり、それを病院が担うべきであるとの考えがあるかもしれない。実際にこうした主張をする法律家もいないではない。もし、これを医療側に求めるとすれば、医療費の算定方法が根本的に変化する。病院が生命保険会社の機能をもつことになる。となれば、個々の医療機関が医療費を設定することを認めざるを得なくなるし、医療費が今よりはるかに高額になる。
あるいは、これを国に求める考え方もあるかもしれないが、大きな政府が必要になる。現在の政治状況では、こうした考え方が議会の主流を占めるとは思えない。いずれにせよ、医療の不確実性や人間の死を前提にしない補償制度が、財政的に可能であるとは思わない。制度ができたとしても、補償額はきわめてわずかにしかなり得ない。


んと、引用した以外に「医療の質」向上のために構造的な問題について書かれていますけれど、患者サイドに投げられたもののほかは、やっぱり私にはむずいでした。実際に虎の門病院で取り組み実践されてきたこともたくさん書かれていて、こゆうの、お医者さんたちはどう読むのかなあ。私は専門的なことはわからないなりに、2004年にこれを書かれたこともそうですし、その姿勢は信頼できる先生だなーて思いましたです。
 
 
 
んー、行為無価値、結果無価値ってなにかな。過失と重過失どうちがうかな??
さっぱりわかんないこと多すぎだ、いやんなる、ぶー
 
あといろいろ。

医療事故の調査、第三者も参加は4割 公正さ課題(朝日新聞 2006.2.11)
 
医療事故を減らすための原因調査の重要性が指摘されているが、厚生労働省は調査方法を統一的に定めておらず、調査をする第三者機関も存在しないため、個々の医療機関の取り組みにゆだねられているのが現状だ。
最高裁の統計では、医療訴訟は過去10年間で2.3倍に増え、04年の提訴数は1107件と初めて年間1000件を超えた。患者側の根強い不信感の一因として、医療機関の調査が内向きで、公正さや客観性が確保されないことが指摘されている。

しかし割り切れないのは、医療行為と最終結果の間の因果関係を問題にする、特に刑事罰における過失・因果関係論の議論です。たとえば、下記のような例を考えると、現状の刑事罰の体系では、結果=医療者側から見れば単なる運の良し悪しで、罪に問われたり問われなかったりします。
もちろん、たとえば、誰かを故意に突き落とした時に怪我だけなら傷害、死んでしまったら傷害致死というのも、運の良し悪しですから、刑法はそのようなものであると思います。しかし、故意ではない業務上の過失に対して運の良し悪しで大きく罪状が変わるのは納得できません。医療においては業過傷害・業過致死以外の罪状の方が適している・・・つまり現行法は悪法だと考えます。
なによりも過失と因果関係を分離して裁定して罰則を与えることは、医療の質の向上に役に立つとは思えません。医療者ができることは「過失をしない」努力だけです。同じミスをしても、ある人は運よく罪に問われず、別の人は運悪く犯罪者となるという不公平感が広がれば、医療者のモーチベーションが下がるだけです。また過失そのものではなく、結果が重視されるのなら、ミスを避けるよりも、ミスを起こした後、たとえば、とにかく患者が死なないように延命だけを続けたり、ミスは隠したほうが良いという気持ちになりやすいと考えます。また過失をしてしまった時に、結果が悪くなり易い、救急・外科・産科医療などに従事するのは損だということになります。
 
過失と因果関係を分離して議論することの虚しさ(粂 和彦のメモログ)