子どもへの抗うつ剤投与が増加

 

子どもへの抗欝剤投与が増加――問われる安全性(WIRED NEWS 2004.2.5)
 
他の場であったら、この報告は爆弾発言になっていたかもしれない。
しかし、その児童精神科医が1月、親とカウンセラーの集まりで、3歳半という幼児に抗鬱剤を処方したと話した際に、だれもたじろいだりしなかった。つまり、サンディエゴで開催されたこの集まりの聴衆にとって、抗鬱剤プロザック』を幼児に与えるという発想は、きわめて馴染み深いものだったのだ。ここに参加した親の多くは、選択性緘黙(かんもく)症という、特定の場面で話せなくなる病的な症状に苦しむ子どもを持っていた。

選択性緘黙症は、6歳以下の子どもに発症すると考えられている数少ない精神疾患の1つ。
10代の若者に対してでさえ抗鬱剤投与の影響を危惧する声があることはよく知られているなか、それでも懸念を抑えて、幼い子どもに実際に抗鬱剤を与えてきた親も、聴衆の中には何人かいた。テキサス州の保母、ジェイナ・チャプリンさんは「夫も私も、この問題にはまだ悩んでいます」と認める。
7歳になるチャプリンさんの娘は、プロザックを服用している。「結果がはっきりするまで、自分たちは正しいことをしているのだろうかと迷い続けなければなりません」

専門家によると、チャプリンさんと同じ立場にある親が増えてきているという。
子どもはもちろん、大人の脳への影響もほとんど解明されていないにもかかわらず、幼い自分の子の治療に抗鬱剤を使うことに不本意ながら同意しているという親たちだ。
「全く何もわかっていない」と語るのは、カリフォルニア大学サンフランシスコ校の児童精神科医、グレン・R・エリオット博士。「この考えでいいのかそうでないのか、われわれは知らないのだ」
子どもには、プロザックなどSSRI(選択的セロトニン再取り込み阻害薬)と呼ばれるタイプの抗欝剤が処方されるのが一般的だが、米食品医薬品局(FDA)は2日(米国時間)、このタイプの薬の子どもへの安全性に関する公聴会を開いた。公聴会では、抗鬱剤服用中の10代の子どもを自殺で亡くした親たちが、子どもへの処方を禁止するよう政府に訴えた。

こうした親たちの心からの訴えを聴いた諮問委員会は、薬により適切な警告を表示するよう求めた。イギリスではすでに、抗鬱剤を未成年者に使用することは法律で禁じられている(プロザックは除く)。
抗鬱剤をめぐる議論では、10歳以下の子どもはおおむね対象から外されてきた。この年齢の子どもは、一般に、まだ自殺をする年齢ではないが、しかし障害を伴う精神疾患を引き起こすことはあると考えられている。
現在、精神科医の間では、乳幼児でさえ、鬱病双極性障害、不安障害や強迫性障害など、数は少ないながらいくつかの精神疾患を患う可能性があるのではないかと見られている。「現在では、こういった疾患の多くは幼児期に始まることが判明している」と、スタンフォード大学精神科医、キキ・チャン博士は述べる。
3歳以下の子どもの場合、精神科治療のための投薬は禁じられている。
乳幼児がカウンセリングのためソファーに横になって母親について話すというのは当然無理なので、カウンセラーは親と話をすることになる。「乳児の場合、予防のために最も重要なのは、身体と感情の親密な関係を作ることだ。鼻と鼻をすり合わせたり、身体を揺らしてあげたり、両腕の中で躍らせてあげたりすることで、安心できる愛情関係を育てるのだ」と、シラキュース大学のアリス・スターリング・ホニグ名誉教授(児童発達学)は説明する。

しかし3歳以上になると事情が変わってくる。とくに保育園や幼稚園に通うようになると、社会的交流から生まれるプレッシャーによって子どもの精神的安定性が試されるからだ。ホニグ教授のような愛情表現を使ったセラピーの唱道者でも、場合によっては、比較的年長の子どもには薬物が効果的かもしれないと認める。「投薬に対する反応は子どもによってそれぞれ異なる。なかには、薬のおかげで、生活の中で自らをコントロールする感覚をいくらか取り戻せる子どももいるかもしれない。そうすれば、授業や、親や先生が言うことにも集中
できるようになる」とホニグ教授。
3年前に発表された研究では、1995年時点で、米国の未就学児童で抗欝剤の投与を受けていたのは、1000人当たりで約3人とされていた。
最もよく使われる薬はプロザックと『パキシル』のようだと、ワシントン大学医学部(ミズーリ州セントルイス)のジョーン・ルービー博士(児童精神医学)は話す。博士は未就学児童の鬱病双極性障害について研究している。
前述のチャプリンさんをはじめ、多くの親たちにとって、薬は最後の頼みの綱だ。チャプリンさんの娘のエミリーちゃんは選択性緘黙症を患っている。この精神疾患を持つ子どもは、学校の教室や診察室といった社会的状況の中だと、極度の不安を感じ、話すことができなくなる。しかし、自宅ではほぼいつでも、他人と会話する能力を取り戻す。
「娘の幼稚園入園の日、先生が途中で電話してきて、エミリーちゃんには何ができるのかと尋ねてきました」とチャプリンさんは話す。「エミリーは文字通り凍りついて、何もできなかったのです」

研究者によると、選択性緘黙症の原因は頑固さなどではなく、精神的な不安だという。そのため、この病気を患う子どもの親の多くは精神科の薬に目を向けるのだ。チャプリンさんは、幼稚園の教師からの電話を受けた後「私たちがすぐに決心したのは、投薬を試して、この子に正常な学校生活を送れる機会を与えてやらねばならないということでした」と語る。
大人の場合と同じく、抗鬱剤は子どもにもさまざまな副作用を引き起こす。
エミリーちゃんもパキシルで腸に問題が現れたため、チャプリンさんはすぐに服用を止めさせた。薬をプロザックに変えると調子はよさそうで、エミリーちゃんはその後2年間、服用を続けた。
チャプリンさんによると、エミリーちゃんはまだ人前で恥ずかしがるが、黙り込むことはないという。「エミリーは朗らかな子で、聡明で、学校も大好きです」とチャプリンさんは話す。「ほとんどのクラスメートとは話さないため、交友関係はやや異なっているものの、つねに前進していて、今は普通の女の子になっていく途上にあるのです」

未就学児童が自殺する可能性はほとんどなさそうだが、専門家は、抗鬱剤を服用している幼児が直面する危険は他にもあると指摘する。しかし他の危険がどのようなものになるかはわからないと、精神科医たちは言う。この知識の欠落の説明は簡単だ。
これまで、子どもに対する薬の影響についての広範な研究は行なわれていないのだ。
スタンフォード大学のチャン博士によると、多くの親は自分の子どもが研究の実験台になることは嫌がるという。
とくに、通常の二重盲検法による試験では、子どもが飲んでいるのが治験薬なのか偽薬なのか、親にはわからないからだ。
ワシントン大学のルービー博士はこう述べる。「こうした薬に効果がある可能性は高いが、われわれは単にデータを持たないため、それを明言できない。また、子どもに薬を処方する際に必ず知っていなければならない、薬の安全性や、成長や発達に及ぼす影響についてもほとんどわかっていない」
研究者たちは現在、子どもの精神疾患についてさらなる研究に乗り出したところだが、抗鬱剤の研究は将来の課題として残るだろうと専門家は見ている。児童精神科医はさしあたり、成功を祈りつづけるしかない。
 
成人の治療に当たる精神科医も同じような賭けをしているとも言えるかもしれない。
プロザックのような薬は一般に普及するようになってから年数があまり経っておらず、長期服用した場合(たとえば20年、30年以上の服用)の影響は知られていない。また、これらの薬が鬱や不安などの症状を抑える仕組みについても、十分に科学的に解明されているわけではない。
こうした薬が、セロトニンという化学物質の脳内レベルに影響を及ぼすことは明らかなようだが、何がどうつながっていくかという具体的メカニズムに関しては、「誰も本当のところはわかっていない」とチャン博士は語る。もし薬に未知の危険性が隠されているのであれば、子どもの発達中の脳は危険にさらされることになるだろう。しかし、精神科医も親たちも口を揃えるのは、薬を使わなければ、精神の病に侵された子どもをその病の手に委ねるしかなくなるということだ。

1つの例を見てみよう。ペンシルベニア州に住む10歳の少女、ケイラ・ヘックマンちゃんは、選択性緘黙症について取り上げたドキュメンタリー番組でも紹介された。ケイラちゃんは、幼稚園で一言も発せられないという重度の症状を治療するため、6歳でプロザックの服用を始めた。少量服用しただけで何もかもが変わったと、ケイラちゃんの母親、シェリー・ヘックマンさんは述懐している。
シェリーさんは現在、ソーシャル・ワーカーになるために勉強中だ。「娘のボディランゲージや緊張具合に変化が見えるようになってきました。また、娘がどんどんリラックスしていくのもわかってきました」
ケイラちゃんは2年前にプロザックを止めたが、調子はよい。母親のシェリーさんは「この選択をしたことに全く後悔はしていません。薬を使わなかったら他の方法では得られなかった人生を手にするチャンスを、私は自ら娘に与えたと自負しています。私にとって、あの薬は娘の命の恩人なのです」と語った。[Randy Dotinga 日本語版:近藤尚子/岩坂 彰]