クリの木が咲いています。
ほんとうの花は6月に咲きます。でも若いイガは花と同じ色で、咲いてるように見えますよ。
 
 
学校について気になること。
愛国心」とか「質の高い国民をつくる」とか…
子どもたちの時間は子どもたち自身のためのものです。けして“国のため”に使うようあるのじゃない。
 
東京都が扶桑社の歴史教科書を採用しました。
新しい歴史教科書をつくる会、日本の伝統文化を重視する方針の新設校、東京都
て並ぶとキナくさい感じがしちゃいますけど、中身をみていないのでなんとも言えませんデス。
ただ、採択に“学校票”は必要ではないでしょうか。
実際に使って教える教員の意見は参考になるはずですもの。
それをなくしてしまっては、なんのために使うものなのか、を間違ってしまいかねないと思います。
 
 
2月にあった天理市の小学校校長自死のニュースにはやりきれなくなりました。
それまでの対応はたしかにマズかったし、校長の責任は重いでしょう。それでも
死んでしまっては、残された子どもたちはどうすればいいでしょうか。
どうしてそこになるまで、どこからも支援できなかったでしょうか。
なにか問題があっても隠そうとするのは批判が怖いからでしょうか。
それは、批判を受けてもどうにも対処できないからでしょうか。
それならそこも認めてオープンにするしかないのではないでしょうか。
学校だけがわるいと、だれも思っていないはずです。
追い詰めて疲弊させても、お互いの不信感が増すだけで、なにもよくならないことはわかっていますから。
 
財源がなんであろうとかまわないデス。
いま以上に学校が余裕をなくすようなことにはしないでほしいのです。
そんなことは子どもたちのためになりません。
「おおきくなったら、せんせんいになりたい」て言う子ども、いるんです。
きっと好きな先生がいるからでしょう。
子どもたちのためにも、先生方が「教師になってよかった」と言えるような学校であってほしい。
 
 
ほんとうに学校は
必要なんだろうかって考えることもあるのですよ。で、わからないのです…
ただ、子どもの居場所なら、ひとつでも多いほうがいいと思っています。
必要としない子はいるかもしれない、必要とする子もいるかもしれない
「学校なんていらない」と言えないなら、子どもにとって“たのしみ”のある場所だといいな。
 
 
カンタンが鳴き始めました。
夕方から早朝まで、やさしい声で鳴くのですよ。
八月が終わります。

「子どもは次の時代を担う」とよく言われるが、今の時代を生きている。

4月に開かれた“子ども国会”に参加した高校3年生の言葉です。