PISAショック

 
OECD生徒の学習到達度調査(PISA)2003年調査国際結果の要約
 
いまさらな文科相の発言を非難してもしかたないですし
PISAというモノサシで測れば学力は低下しているのは事実なのでしょう。
それでも、これによって「教師の質」を責め立てるようなことはしていただきたくないと思っています。
そういう一面は否めないとしても、です。
そのような姿勢が大事なことを、よけいに見えにくくさせてしまう気がしています。
 

学力低下:「悲惨な結果」と専門家 OECD調査毎日新聞

数学で初めて実施した生徒への意識調査では、勉強への否定的な反応が大半を占めた。「数学の本を読むのが好き」12.8%(参加国平均30.8%)▽「数学を勉強するのは楽しいから」26.1%(同38.0%)▽「将来の仕事の可能性を広げてくれるから学びがいがある」42.9%(同77.9%)。「学んだ数学を日常生活にどう応用できるかを考えている」にいたっては12.5%とニュージーランド60.5%の約5分の1だった。

特に「意見発表の機会を与えてくれる」では、「いつもそうだ」「たいていそうだ」を合わせても肯定派は46%と半数に届かず、OECD加盟国平均を12ポイントも下回った。逆に「ほとんどない」は平均を7ポイント上回る20%だった。生徒と教師の関係を問う質問「多くの先生は、生徒が満足しているかに関心がある」も肯定派は45%にとどまり、平均を20ポイント下回った。
学校への信頼感も他国より希薄だ。「(学校が)仕事に役立つことを教えてくれた」に肯定的に答えた生徒は59%と加盟国平均より28ポイントも低く、13カ国中で最低。「決断する自信をつけてくれた」も52%と18ポイント下回った。

 
 
岩波ブックレット『「学び」から逃走する子どもたち』佐藤学(2000年)
60ページほどを読んだくらいでわかったようなこと書くのはいやだし恥ずかしいし。
せめて著者のほかの本を読んでからと思ってたのだけれど「PISA」のお客さまもいらしたので
ちょこっとメモしておきます。
 
習熟度指導は「時代遅れ」とする佐藤氏*1ですが、
この本では「日本の子どもは世界でもっとも学ばない子どもになっている」とも書いています。
IEA*2の国際比較調査などの結果をあげ、子どもたちは学ぶことから逃走しているというのです。
とくに中学生において、その傾向が大きいといいます。
ただ、それは学力が“低下”しているというよりは、大学入試の科目数の削減と高校の選択中心の
教育課程の弊害による“偏り”ともしています。
「関心・意欲・態度」を軸とする「新しい学力観」を提唱し、
教育改革を推進してきた文科省の過ちについても書かれていますけれども、勉強熱心なことで知られた日本の子どもが
「学び」から逃走してしまった謎を解く鍵は【圧縮された近代化】にあると、佐藤氏は考えているそうです。

本の学校の就学率と進学率は1872年から一貫して急上昇し、1980年ごろに頂点を迎えています。(中略)日本の実質的な就学率と進学率は、1970年代に欧米諸国を凌駕したことになります。欧米諸国が二世紀ないし三世紀をかけてゆるやかに達成した教育の近代化を、日本はわずか一世紀たらずで達成したのです。

この急速な教育の近代化は日本を含む東アジア諸国にみられるもので、
その特徴は、圧縮された近代化、競争の教育、産業主義化との親和性、中央集権的官僚主義的な統制、
強烈なナショナリズム*3と、第6の特徴として

教育の公共性が未成熟な点があげられます。東アジアの国々において教育の目的は、国家の繁栄にあり、同時に、競争による個人の社会移動に求められてきました。国益中心の国家主義と利己的な個人競争が、東アジア型の教育の「圧縮された近代化」の両輪でした。この構造のなかで脱落してしまうのが、教育の公共性です。なぜなら公共圏は本来、国家と個人の中間地帯である社会圏(society)、なかでも自立した個々人が援助し合い協力し合う協同社会(association)を基盤として成立するものだからです。
教育の目的が国家と個人の両極に引き裂かれた日本においては、協同社会は成熟せず、教育に対する公共的な意識も成熟をはばまれてきました。「公」は「おやけ」と「おかみ」という二つの訓読みで表されますが、「おおやけ」の意味は成熟せず、「おかみ」に吸収されてきたのが日本の公教育の実態といってよいでしょう。戦前においては「滅私奉公」、戦後においては「滅公奉私」が教育を支配するというように、「公」と「私」が両極に分裂して対立的に処理されたのも日本の教育の特徴です。
教育の公共性が国家に吸収されてきたことと、公教育が個人主義的・利己主義的に意識されていることは、日本に限らず東アジア諸国の特徴の一つです。

以上のような特徴をもつ東アジア型教育の「圧縮された近代化」が、日本において終焉の時代を迎えたのは1980年代前後でした。
東アジア型の教育は、産業と教育の急速な拡充と発展を前提として有効に機能するシステムでした。この教育システムは、産業化と教育の急速な近代化が停滞した時点において破綻を露にします。(中略)
実際、教育において「圧縮された近代化」が急速に進展していた時代の日本は、学校と教師への信頼度が世界一高く、子どもの学習への意欲も学習時間も学力の水準も世界一高いことで知られていました。「圧縮された近代化」の推進途上においては、学校教育によって大半の子どもが親よりも高い教育暦を獲得することができ、親よりも高い社会的地位を獲得することができます。その状況においては学校と教師への信頼は高く、学習の意欲と努力は最大限に発揮されます。(中略)
しかし、「圧縮された近代化」が終焉を迎えると、その破綻が一挙に露になります。もはや大半の子どもは、学校教育によって親よりも高い教育暦を獲得することも親よりも高い社会的地位を獲得することもできません。学校は一部の「勝ち組」と多数の「負け組」を振り分ける装置へと変貌します。多くの子どもにとって学校は失敗と挫折を体験する場になってしまいました。

「学力が低下して、なにが悪い??」て訊かれたら、私はちゃんと答えられるかな…


年末はいそがしーです。続きは明日でございましょうか(笑)
 
 
今日、大阪駅では今年もNPO赤紙を配ったそうです。
子どもといっしょに学ばなければいけないことだと思います…
 
 

*1:http://d.hatena.ne.jp/arcturus/20041118

*2:国際教育到達度評価学会

*3:日本を含む東アジアの国々においての教育の「近代化」とは欧米の文化の「植民地化」でした「近代化=植民地化」は、近代化の後発国であった東アジアの国々の宿命であったと言ってよいでしょう。戦前の日本が国家の主権を保持しえたのも、「植民地化」を回避したからではなく、欧米の文化の「植民地化」を自発的に積極的に推進したからです。欧米文化の植民地化に抵抗していたならば、国家の主権を奪われて植民地化せざるをえなかったでしょう。「近代化=植民地化」の構造はアメリカの「文化的植民地化」が進行した戦後においても引き継がれています。国家国民の構成を求める教育の「近代化」が「文化的植民地化」によって推進されるというのは絶対的な矛盾です。産業化と教育の近代化を達成しようとすれば、欧米の科学技術と社会思想の「文化的植民地化」を推進せざるをあないわけですが、「文化的植民地化」を推進すればするほど、国民統合の基軸となる「国家のアイデンティテイ」は解体の危機に直面せざるをえないからです。