国歌

 
今日も雪になりきれない雨が降って、淡い虹がかかっているのを見ました。
 
 
もし私が教員なら、どうすれば国歌を教育委員会に満足してもらえる声で歌わせることができるだろう。
どうやって「強制ではなく」子どもたちを指導しようかな…
1年生ならご褒美シールがいいかも。
朝の会で毎日1人ずつ歌わせて、大きな声で歌えればしっかり褒めてシールを1枚。
飽きるころには慣れちゃって、なんにも言わなくても大きな声で歌ってくれるはず。
3年生くらいなら、がんばれニッポンなオリンピックの話しをすれば大きな声で歌えるかな。
5年生になれば「インド洋大津波被災者に5億ドルを支援した日本の国歌だよ、ゲンキよく♪」
とか言っておけば自然に歌ってくれるかしらん。中学生には「国歌ですから、残念っ」て(笑)

卒業・入学式前に君が代声量指導を(東京新聞1月21日)
東京都町田市教育委員会は、市立小中学校全校の校長あてに、今春の卒業式・入学式での君が代斉唱について「児童・生徒らに十分な事前指導を行い、他の式歌と同じ声量で歌えるよう指導する」とする通知を出した。通知ではさらに、会場設営や教職員への指導について詳細なチェック項目を設け、式前日に確認を行い、報告するよう求めている。


昨年の入学式・卒業式では、福岡県の小中学校で声の大きさが調べられていましたが、「強制はしない」なら
そんな調査になんの意味があるのでしょう。どうしてここまでしなくてはいけないでしょうか。
「国歌に特別な想いはないけれども強制するような姿勢には従いたくない」と考えるひともいるはずです。
これからは強制に近いかたち(いちいち「強制ではない」と、ことわりを入れなければならないようなやり方)で
国歌を歌わされること歌わせることに疑問をもたないひとでなければ
教員になりたがらなくなってしまうのではないでしょうか。そのほうが都合いいですか…
 
「国歌だから高らかに歌わなければいけない」
「国歌なのに胸を張って歌えないのはおかしい」
とにかく国歌だから、国歌なのにって言う。
でも私自身が歌うとき、なんとなく居心地の悪さを感じてしまうけれど、それは「国歌だから」ではありません。
それでも、歌えばナショナリスティックと決め付けるつもりも
歌わないから国をたいせつにしていないとするつもりもありません。
私がこの通知をおかしいと思うのは、「疑うな」ということでしかないと思うからです。
それぞれが学んで自ら考えることを否定するものだと思うからです。
なぜ歌いたくないひとはいるのか、なぜ国歌を歌う日本人の姿に警戒するひとがいるのか
曲がりなりにも60年のあいだ軍事的な野心をもたずにきたにもかかわらず払拭できないことの意味はなんなのか…
これは「そんな問いは必要ない」とすることではないでしょうか。
「その先になにがあるかを考える必要などない」と、子どもたちに伝えることでしかないと私には思えます。
それぞれの問いに学んで考えることを否定するようなありようが、学校にふさわしいとは思えない。
このような問題を解決したいからこそ教育は、あるのじゃないですか??
 
国歌は君が代にちがいない。
そうではあっても、君が代が自身にとってなんなのかはそれぞれが決めること、ではどうしていけないでしょうか。
君が代は大きな声で歌わなきゃいけない、歌えない理由を考慮する必要はない、教科書は加害の記述を少なめに…
片方は被害の記憶を忘れられずにいるかもしれないのに、もう一方の加害の記憶はどんどん薄れていくとしたら
そんななかで出会うとき、おたがいの溝をどう埋めあえばいいだろう。
それを私は、どう子どもに教えてやることができるだろう。
 
 
国旗・国歌を考えるとき、私はこの記事を思い出します。

イラクへの武力行使に反対するため、米ニューヨーク州の小さな大学に通う女子学生が静かな抗議行動を続けている。所属するバスケットチームの試合前、国歌斉唱の際に星条旗に背を向けるのだ。拍手と非難の声と、観客らの反応は相半ばしている。
2003年2月27日夜、ニューヨーク市から北へ約50㌔のパーチャンスにあるマンハッタンビル・カレッジの体育館。国歌が流れると一列に並んだバスケット選手たちの中でトニ・スミスさん(21)だけが横を向いた。
この日はトニさんの大学での試合とあって、100人を超える観客の半数ほどが立ち上がりトニさんに拍手を送った。観客席の張り紙には「トニを支持」「信念を通してこそアメリカ人」。
トニさんはニューヨーク市出身で社会学を学ぶ4年生。チームの正選手で昨年11月に今期のリーグ戦が始まって以来、1人で静かに抗議行動を続けていた。それが2月、対戦相手の学生たちが「非愛国者」と騒ぎ、メディアが注目。ベトナム従軍経験のある男性(56)がコートに下りて、トニさんに星条旗を突きつけたこともある。
トニさんは、メディアに直接語ることは一切拒否し、一通の声明を公表した。「ブッシュ大統領が私たちを守ろうとする計画が、海の向こうで多くの罪のない人々を死に至らしめることを見逃してはなりません」
同校のリチャード・バーマン学長によると、学内でもトニさんの行動への賛否はほぼ半々。学長は「個人的に彼女の『言論の自由』に基づいた行動を支持します」と語る。(朝日新聞2003/03/04より)

これには、国旗に向いて立つ両隣のチームメイトが彼女と手をつないでいる写真が添えられていました。
 
 
子どもに色をつけるには、強制でない範囲のソフトなやり方で十分でしょう。
たぶん低学年では「キミガヨだからいや」ていう子どもはそうそういないでしょうけれども
「国歌だから」声の大きさまで「指定される」のが当たり前になってしまえば
自身の信条を1人で貫くチームメイトと手をつないで立つような想いも一緒に失ってしまうのではないかと思うのです。
 
いま、「なにも疑うな」と言いたくない、私には言えません。