医学者は公害事件で何をしてきたのか

 
1990年9月の東京地裁を初めとして、各地裁から出された和解勧告を国は拒否していました。
そんななかで1991年に開かれた、中央公審対策審議会環境保健部会 水俣病問題専門委員会ですが
津田氏はつぎのように書いています。

通常なら食中毒事件であろうと公害事件であろうと当然事件による患者として認識されるはずの数千人以上の人々を、事件とは関係ないかのごとく取り扱うためにはどのようにするか、すなわち水俣病患者ではないと言い張るにはどうすればよいかを考え出すことが委員会の目的だった。
『医学者は公害事件で何をしてきたのか ISBN:4000221418

ぐうう。そんな委員会に水俣病患者の生活がかかってたわけですか…
読んでるとブチぎれそーになるんだけど、ご出席の先生方です。どひゃ〜
環境保健部会委員
  井形昭弘 鹿児島大学学長
  森嶌昭夫 名古屋大学法学部教授
  荒木淑郎 熊本大学医学部教授
  上村一  医薬品副作用被害救済・研究振興基金理事長
  野村好弘 東京都立大学法学部教授
  小高剛  大阪市立大学法学部教授

専門委員
  浅野直人 福岡大学法学部教授
  植村栄治 成蹊大学法学部教授
  納光弘  鹿児島大学医学部教授
  加藤寛夫 国立水俣病研究センター所長
  滝沢行雄 秋田大学医学部教授
  藤木素士 筑波大学社会医学系教授
  二塚信  熊本大学医学部教授
  鈴木継美 東京大学医学部教授
 
医学者がよってたかって「ほんわかとした層」てなんだ??
ここの答申を経て、1992年の医療事業、1995年の政治決着があるわけですね…
 
 
第1回中央公害対策審議会環境保健部会 水俣病問題専門委員会議事速記録(1991.2.26)

念のためでございますが、この審議会の委員、今日お願いいたしました専門委員の各先生方は特別職の公務員という形になるわけでございます。そういう意味におきまして、その職務の範囲で守秘義務がかかることになっております。(柳沢環境保健部長 4ページ)

公開されちゃってイヤだったかしら(笑)
 

それについてつまびらではないのですが、いずれにしても、これをいじるということになったら、それこそ血の雨が降るというようなことになって、とてもじゃないけれども持たないのではないかと思うので、この専門委員会においては、補償協定をいじるという話は触れないでいただいた方がよろしいのではないかと思うのです。(柳沢環境保健部長 31ページ)

 
「血の雨が降る」て、どーよ××
 
 
 
中央公害対策審議会環境保健部会 水俣病問題専門委員会議事速記録
第1回 http://www.jspn.or.jp/pdf/m_gijiroku01.pdf
第2回 http://www.jspn.or.jp/pdf/m_gijiroku02.pdf
第3回 http://www.jspn.or.jp/pdf/m_gijiroku03.pdf
第4回 http://www.jspn.or.jp/pdf/m_gijiroku04.pdf
第5回 http://www.jspn.or.jp/pdf/m_gijiroku05.pdf
第6回 http://www.jspn.or.jp/pdf/m_gijiroku06.pdf
第7回 http://www.jspn.or.jp/pdf/m_gijiroku07.pdf
第8回 http://www.jspn.or.jp/pdf/m_gijiroku08.pdf