中公審 水俣病問題専門委員会 その2

 
第3回は、「水俣病か否かの判断をするものではなく水俣病の認定制度に影響を及ぼさないこと」と
水俣病の特殊性に基づくものである」という、非常にむずかしい制約条件がある健康管理対策および
「一定者」の再申請を打ち切るための方策について(たぶん)



第3回 中央公審対策審議会環境保健部会 水俣病問題専門委員会議事速記録(1991.6.28)

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今おっしゃったことは、医学的にはそのとおりなのかもしれないのですが、ただ、今扱っている問題は、公健法における補償をどこまで広げるかという問題なので、長期、何十年後現れてくる微妙な症状まですべて百パーセントこれで救済するようなシステムにする必要があるかどうか、こういう問題だと思うのです。(野村委員)
 
それは全く別の問題ですね。(鈴木委員)
 
だから、あるところで制度上割り切ることも考えられますね。(野村委員)

 
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ですから、僕が一番最初に伺ったのは、再申請についていろいろな形で禁止すれば、少なくとも不服の方は不服審査へ回ってしまうだろう。新しく発症するというところだけが残るはずなのだけれども、それも全体として最初に指定地域の解除などということを議論して、そこで、新しい人は受け付けませんよと言っておいて、古い人ならば、一旦駆け込んでおいたら、そのときなくてもまた後で出てくるというなら、論理的には矛盾してしまうわけです。(森嶌委員)
 
矛盾しますね。結局、もしこれだけに限って議論するなら、法改正ができない以上は運用でやる以外ない。一旦審査会が認定したのだから、それがもう一ぺん出てきたって、そんなものはしばらく握りつぶす以外ない、あるいは形式的な審査でけ飛ばす以外ない。後は不服でやってくれと。何べん来てもけるものはけるのだという悪代官に徹する以外にないという感じなんですね。(浅野委員)
 
それが今度は訴訟でも起きた場合、良心的な先生は、いや、ただ寝かして待っていますなんて言ったら、それこそ国の方の不作為もいいところで、やられてしまう。(森嶌委員)
 
だから、どんどん形式的審査で棄却する以外にないということになりそうですから、むしろ一定者への措置という場合に、再申請をしている人は一定者への措置の恩恵を受けることができないという制度にどうしてもせざるを得ないでしょうね。恐らくもうそれ以外は防ぎようがない。そして、再申請をしても、1年たったら受ける給付よりも一定者への措置の方かレートとしては若干はいい。少なくとも足代よりも一定者への措置の方がちょっといいのだということで、事実上、こっちへ誘導していって、再申請なんかしても損だよというふうにするか。できることなら、再申請の人たちについての今までの給付はやめてしまって、少なくとも医療しかみませんと言って、それ以上の足代などは打ち切りというふうにするか、それができないなら、一定者のレートを上げざるを得ないですね。それで、一定者へシフトさせる。(浅野委員)

 
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そこで、素人としては、この3番の「メチル水銀曝露によって、現在知られている症状以外にも何らかの健康影響が生ずることがあるのか否かについては、いまだ十分解明されていない」という認識は妥当なのかどうか、そうだとすると、認定基準との関係で、認定基準というのは何を認定したことになるのか、何を判定する基準になるのか、それをお伺いしたいと思います。(森嶌委員)
 
そこがこの委員会の最も大きな論点になるわけで、そこを何とか理論付けができないでしょうかというのが……。(井形委員長)
 
そうなんです。理屈をつけていくとしたら、その辺のところを、医学的にもなるほどということで、制度的にも今の制度をぶっ壊したようなことにならないで、かつ、理由がつくようにしなければならない。(森嶌委員)

 
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こっちは、もう認定するものは認定してしまったのだから、認定してないものは影響はないという前提を仮にとったとすると、その人たちになぜまたやるのだという論理は残ってしまうと思うんです。(森嶌委員)
 
今の認定制度は、一つは、自ら認定申請しないとチェックしないのです。その裏をとる意味があるのではないかと思うのです。(井形委員長)
 
環境庁が掘り起こしをしてくれる。(森嶌委員)
 
掘り起こしとは言わないけれども、これもそもそも総合的調査手法というのが国会で言われたときは、即座に一斉調査をやりなさいというムードで決まったのです。ところが、私どもの経験からいうと、一斉調査はかつてやったのに、今その3倍も4倍も患者が出ておりますので、ある時点でやって、それで終わりということにならないから、やはり長期のフォローが必要でしょうという結論になっているわけです。それを受けて、少なくとも受診率が万が一低くとも、国がこういうことにイニシアチブをとったことが、解決にはプラスになるのである。そうすると、そのときの理論付けですね。実際はこの後の医療費の自己負担分プラスアルファというところが非常に重みを持ってくるわけです。裁判所も住民も新聞も最も注目しているのはここの部分であって、一定者対策に対する理論付けで、むしろ健康管理の方は、環境庁本来の、環境汚染を一歩たりとも寄せつけない、綿密に網を敷いて予防するという姿勢の現れで、一緒に評価していただければありがたい。(井形委員長)

 
ふう、「一定者」というのは、つまり「にせ患者」をお役所言葉にしたものでしょうか…
 
 
 
つづいて第4回は…
「特定症候有症者」の「かけもち申請」を「わからない答申」が「彌縫的」で「エンドレス」に
「やればやるほどわけがわからなくなるという気がします」ですorz
 
第4回 中央公害対策審議会環境保健部会 水俣病問題専門委員会議事速記録(1991.7.31)
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これは法律の先生方の意見に頼るところが非常に多いと思います。(井形委員長)
 
禁止については、法律家として考えろと言われると、理屈は制度的割り切りというぐらいの説明しかないのです。給付調整の場合に、野村委員がおっしゃるように、特定症候有症者事業の給付を生かしてというのは、全く何の意味もないです。それですと、実際には公健法給付の方が高いですから、相談していっても差額の支給で終わってしまいますから、全く抑制機能を持ちません。ですから、B案でいく以上はともかく両方止める以外には抑制効果はないということです。
森嶌先生おっしゃったのは多分E案のところだろうと思います。私は、E案でもいいし、C案でもいいなという気がしているんです。C案の場合には、ちょっと厄介なのは、重松委員会の結論に依拠して、事情が変わった、要するに遅発性はないという前提ですから、それで一騒動やらなくてはいけないので、それよりもむしろ、それこそ議題の1と同じですけれども、審査会の側でいったん棄却し、再申請された者については、全部機械的に書面審査で落としていいとか、従前の検診資料をそのまま用いてもいいというようなことを合意してくだされば、あとは事務的にとんとんと落とせることもありうるかと思います。であれば、実質も再申請禁止とほとんど変わらない。ただ、表向き出てこないだけのことですから。(浅野委員)
 
私は、禁止でなくて、制度的にはどっちでいってもいいけれども、こちらに幾ら行っても、いったん棄却されて、しかも事情変更も何もない、何にも変わらないという状況では行っても同じですよ、それなら、こっちにつかざるを得ないと思うのです。制度的割り切りといっても、こちらが割り切っても、割り切られない人がいるから困ってしまう。そこの説得が、先ほどのお話だと、どうも……。(森嶌委員)
 
割り切りの根拠の理念なり、そういうものが問われたときに答えられない。(野村委員)
 
ともかく理論的に説明しろと言われても、説明できないですね。(浅野委員)
 
開き直る以外にない。(森嶌委員)
 
A案、B案、C案をながめますと、C案が一番冷酷ではないですか。(上村委員)
 
先ほど言いましたように、ここでの議論は、案としては、A、B、E案しかないと思うのです。それに対して認定の方をどうするかというので、C案、D案になるのですが、私が先ほど資料1で申し上げたのは、今の医学でわからないというのであれば、「わからない」として棄却してしまって、再申請するかどうかは別として、こっちで出している事業で救う、そういう仕組みにして、多少抵抗はあるだろうけれども、そういうことで考えられないだろうかということを申し上げたのです。その意味では、ほかは何にもなしにC案だけだと一番冷酷なのですが、健康管理手当というかどうかは別として、一応の金銭給付もあって、医療も受けられる。もしも医学的に見て、申請してもほとんど見込みがないような状態とおっしゃるなら、気を持たせていつまでもやるよりは、行ったらだめという仕組みをつくっていただいた方がいいのではないかと思います。(森嶌委員)
 
B案の場合には、両方出しておって、後で給付で調整するというお話ですけれども、先に決まるのが特定症候有症者事業の給付だろうと思うのです。片方が決まるまでは宙ぶらりんになるのがB案ですね。(上村委員)
 
そうです。(浅野委員)
 
これも冷たいんじゃないか。(上村委員)
 
もちろん冷たいんです。しかし、そこがまさにねらいなんです。こちらの事業の給付を受けたかったら公健法の申請はおやめなさい。そっちの方でいったら、いつ順番が回ってくるかわからないけれども、それまではもらえませんよ。公健法の方で棄却とはっきり言われたら、そのときはこっちを復活しますから、さかのぼって全部払います、こういう理屈。(浅野委員)
 
あとの給付の調整というのは、先ほどもおっしゃったけれども、何を調整するのですか。(森嶌委員)
 
要するにそれが理屈なんです。(浅野委員)
 
理屈じゃない。言いがかりにすぎないと私は思うのです。調整するといっても、片方はいわば行政的な責務で、社会保障をこの部分で厚くしてやろうということですね。損害賠償でないという建前ですから。そうすると、公健法は損害賠償でないにしても、抜くとしたらどこを抜くのでしょう。しかも医療費はかかっているわけでしょう。(森嶌委員)
 
屁理屈に近いのですが、公健法で認定されて、現行の枠組みですと、どうせ補償協定に行ってしまうわけですね。そこでたっぷりと補償給付が受けられることになる。そうすると、特定症候有症者事業の給付を受けた者については返還してもらわなければいけなくなります。しかも、こっちの方も医療の現物給付でやっています。今まで払ったものは、公健法の方は申請時にさかのぼって全部支給されるはずですから、そこで併給状態が出てしまうわけです。(浅野委員)
 
医療費は本人に入ってくるわけではありませんね。健康管理手当というのは、補償協定とは別の理念ですね。(森嶌委員)
 
というふうに考えるか、そこのところは公健法並みに併給という理屈を無理やり持ち込む以外にないわけです。(浅野委員)
 
損害賠償と公健法なら併給と言えるけれども、ここは損害賠償ではありませんよ、ここではあくまでも行政としての紛争解決とか地域の不安の解消のための施策ですと言っているのですから、そのときに出したものを後で損害賠償から差し引くぞというのは、冷酷である以外に説明つかないのではないかと思うのです。(森嶌委員)
 
本来、チッソの負担で全部救済を受けるべきものであるならば、それで救済を受ければいいではありませんか。そちらの方で本来救済を受ける可能性がないような者について、特段の政策的な判断でこの制度の給付をしているのであるから。それは言ってみれば、実際には後で国がチッソに求償権行使をすればいいようなものなんです。しかし、それにしてもそこも煩わしいからという理屈なんです。だから、厳密に理論的に言えば、それはおかしいというのはわかっているんです。(浅野委員)
 
おっしゃるように、そういう理屈が成り立たないわけはないとは思います。しかし、それを聞いて、なるほどと思わないのではないか。私は思いません。よく屁理屈をこねたなという感じがします。(森嶌委員)
 
B案の場合、高齢者が多いので、待っている間にどんどん亡くなる人が出ると思うのです。まさに冷酷どころか、非人道的である。(野村委員)
 
実際には両方申請するのは認めないといっているのに等しいんです。しかし、表向きはそう言ってないだけですから、それは非人道的であることは明らかです。(浅野委員)
 
余りみみっちいことを言わずに、つながってさえすれば、いつか認定してもらえる、そういうのをなくす方が、かえって冷酷なように思うかもしれないけれども、その方がいい。私が聞いた話では、今、保留になったり何かすると、よかった、よかったとか、そういうような感じになっているみたいですから。(森嶌委員)

 
「未認定患者」じゃなくて、わざわざ「一定者」とか「特定症候有症者」とかいうのは
責任を明確にしたくないオトナ語の謎??