中公審 水俣病問題専門委員会 その4

 
第6回は、「解決責任」と、補償と賠償と救済と。
 
第6回 中央公審対策審議会環境保健部会 水俣病問題専門委員会議事速記録(1991.10.9)

そのあいまいな部分がどこかということをはっきりお互いに認識すればいいと思うのです。つまり、今までの認定基準を含めた医学の知見に基づく水俣病ということに関しては、おそらくこの報告書の中でいまさらそれをトーンダウンすることはあり得ないし、それをトーンダワンするような中公審の答申が出たので、水俣病の病像そのものが、国の今まで言ってきたことが間違っているというようなことはおそらく書けないだろうと思います。しかし、法律家委員も入った中公審でものを言うときに、従来の認定基準に該当する者以外は一切何の救済も受けられないのだということはおよそあり得ないということも一方であるわけです。当面、あいまいな部分があると申しました一番のポイントは、国が現に被告になっていて、国は和解に応じてなくて、従来の認定基準は間違ってないし、その認定基準に核当する者以外は、従来の基準での民事上の救済を受けることはできないと主張しているわけですね。その点については、我々、後ろから鉄砲を撃つようなことはやりにくいという面があるものですから、そこは一方で残しながら、他方、森嶌委員が言われるように、和解をやりたい人がやるのは別に構わないわけだし、そっちはそっちであり得るわけです。これの中であえて言わせていただければ、疑似水俣病というか、水俣病周辺部分に対する何らかの施策を講じることによって社会の安定を図ろうという施策目的がありますから、そうすると、どうしても書きぶりによって、下手をすると、訴訟が継続することを一応想定しますと、利用されては困るという面があって、そちらのガードを考えながら、一方では施策の理屈を考えなければいけない。だから、もやもやした言い方になってしまうのです。
ともかく医学的なレベルで、従来の認定基準がおかしかったとか、そういうものは水俣病としては狭すぎるということではないのだということをはっきりと言われれば、その後はどんなにもやもやしても一向に構わないと思うのです。そこのところだけ読み間違いがないような書き方をきちっとしておいて、それから後は最大限、法的なレベルではそうでなくても、しからずとも救済可能であるという理屈をいっぱいこねくり回して、何とか大蔵省から金を取るということにせざるを得ないのではないかと思うのです。もし第1の点が誤解されるようなあいまいさを残すということは、禍根を残すだろうという気がします。(浅野委員 36ページ)

 
 
 
第7回、赤玉白玉。
「ここで答申するのは行政的な答申ですから、マスとしての対策を考えていきたい」ので

水俣病が発生した地域においては、特定の症候を有して水俣病患者と同様の身体的、精神的苦痛を受けているものの水俣病とは認定できかねる者が存在し社会問題となっているので、個別の因果関係の認定を必要とする損害賠償支払いを目的とするものではなく、地域住民の健康問題を解消・軽減し、適正な医療の機会を確保するために事業を始める

ということらしいです。ソボクにすごい日本語だよ。
民間ではなく行政の施策であるかぎり
1人ひとりの声に応えることに限界はあって、どこかで割りきりが必要なのだとしても
その場合には裁判で争う道は開かれているのだとしても
水俣病の認定審査制度はたくさんを切り捨てすぎてて、それを正す必要がないというなら
行政のあり方として、私はおかしいと思います。
 

水俣病発生地域において、水俣病認定者以外にも四肢の感覚障害を有する者が多くみられるかどうかについては、多いことを示唆する調査がある一方、必ずしも多くはないとする調査結果も示されている」
「四肢の感覚障害のみを有する者の中に、なおメチル水銀による影響を受けている者が含まれている可能性を排除するものではない」

どう読んでも、水俣病だけど認定しないとしか言ってないじゃないですか、井形委員長

医学的にはあり得るのですが、それを特定することはできないし、また、この階層を水俣病と認めてしまうと、またそれに続くボーダーライン層を設定しないと解決しない。(37ページ)
 
完全な水俣病とはいわないけれども、その人がある種の症状を持っておるけれども、それに有機水銀が少し修飾しているかもしれない、こういうものも入れて赤玉というのです。いずれにしろ、苦しい表現なんです。(37ページ)
 
現状は、こんなものが認定患者かというのをたくさん認定しているというところをぜひ見ていただきたいと思うのです。(39ページ)

臨床医としての実感というよりも委員長の主観でしかないように思えますが、それが正しいのだとしても
不合理な部分は「臨床医学の限界だから」と、制度的な割り切りでカバーしてもらいたいという姿勢では
被害者の立場に立った救済策など提示できるはずなかったのでしょう。
 
 
第7回 中央公審対策審議会環境保健部会 水俣病問題専門委員会議事速記録(1991.10.29)

43ページ

何で知覚障害だけを前面に出すかは、私ももやもやとしている。(井形委員長)
 
特別扱いするのか。かなり高頻度ですから。(荒木委員)
 
しかし、これは本当にあいくちを突きつけられているようなもので、末梢知覚障害で、原因不明がこんなにあって、これがそうでないというなら、何の病気であるかと、判決にそんなことを堂々と書かれて、刀で切りつけられているわけです。だから、返す刀では、それを受けませんとあれですが……。今の問題、岩尾さんはどうお考えですか。(井形委員長)
 
熊本県の審査会では、確かにそれ以外にもっと重篤な一つだけの症状が出ている人たちは救えないではないかという御意見は、県の審査会の先生もおっしゃっています。ですから、例えば難聴だけの人たちはいないのかという話になると、どうしてもメチル水銀の中毒の病像が起きるメカニズムと非常に関係してくるだろうと思うのですが、その議論をやり出すと、結局、感覚障害だけの初発の水俣病があるのですか、ないのですかという、我々が一番やりたくない議論に入っていってしまうので、ここはもやもやしたとしても、この際これで割り切るというのが行政のスタンスだろうと私は思っております。(岩尾特殊疾病対策疾長)
 
いろいろな役所の立場もよく分かるものですから……。(浅野委員)
 
もう一つ言わせていただければ、私どもは、行政施策をやらなければならないという立場と同時に、裁判の被告としても訴えられているので、来るべき裁判の結果もある程度踏まえていかなければならない。そういうときに、中公審の先生方は中立であるということは私は十分承知しておりますけれども、背中から切られるとは思っておりませんものですから、その点はひとつ御協力いただければと思います。(岩尾特殊疾病対策疾長)