「生きて当然」

 
朝日新聞(2005.4.26)より。

ALSは全身の筋肉が動かなくなる難病で、進行すると自力呼吸ができなくなるため、人工呼吸器を装着するかどうかの選択を迫られます。しかし、約7割の患者は呼吸器をつけずに亡くなっています。家族の重い介護負担を思いやり、動かない体を悲観して、装着を断念し、死を選ぶからです。
こうしたとき周囲の人たちは、あくまで中立を保ち、あとは患者本人に判断を委ねるべきだとされています。しかし、人の生き死ににかかわる局面で「あなたの自己決定に任せます」と言うのは、おかしいのではないでしょうか。この社会は、人の生を前提とし、人を生かすように営まれているはずです。人が死にたいと言ったとき、「私は中立です。あなたのご自由に」とは言わないでしょう。「こうすれば生きられる、生きるほうがいい」と言うでしょう。実際、人工呼吸器をつけて何十年と生きているALS患者は多いし、社会生活を楽しんでいる人もいる。
 
尊厳死は死の迫った末期患者のみに認めると言われますが、残された短い時間、痛みや苦しみを和らげることは技術的にもかなりできます。新たな法律を作ってまで、死を早める必要はない。
尊厳死法制定のまえに、医療や介護をより充実させ、生きて当然と思える環境を整えるべきです。そのための人的・物的資源が足りないわけじゃない。とんでもないコストがかかるのではありません。
「質の悪い生」に代わるのは「自己決定による死」ではなく、「質の良い生」であるはずです。(立岩信也氏)