学校が自由になる日

 
『学校が自由になる日 ISBN:4876721041
 
諏訪氏は「まったく自由で抽象的な“個”など観念(頭)のなかにしか存在しない」とこの本を批判されてて
で、「学校の社会化」が問題だという。これでは「社会の学校化」がわるいっていう。

家や地域は“学校の出店”ではなく、高度消費社会や商品経済の論理、欲望や情報メディアの圧倒的な影響下にある。そして、子ども・若者たちは家や学校からよりもずっと強く情報メディアによって「教育」されている。というより、家や地域や学校が消費社会の欲望と情報メディアによって規定されている。今や情報メディアの「教育」力を計算に入れずに、学校の教育力や家庭でのしつけを強調しても始まらない。
オレ様化する子どもたち ISBN:4121501713

前にも書いたのですけど、社会にないものは学校にもないのは当然で、そんなものを求めても
うまくいかないと思います。学校が社会化するのはどうしようもないことだし、だから
無理やり「共同体的な規範や道徳で管理」しようとしても子どもはついていけないだけだろうと思うんです。
内藤氏が「中間集団全体主義」、宮台氏は「中間集団ファシズム」と呼んで批判してます。

戦後日本社会では、国家全体主義がおおむね弱体化したにもかかわらず、学校と会社を媒介して中間集団主義が受け継がれ、人々の生活を隅から隅までおおいつくしました。すなわち、国家から会社や学校といった中間集団共同体に全体主義の座が移動したわけです。会社や学校において國體が保持されたといってもいいでしょう。(内藤朝雄

 

日本の教育はどこで失敗しているのか。巷間で語られるような「知識の伝達」に失敗しているというよりも、むしろ「動機づけ」に失敗していることは明らかです。動機づけのない学生は熱心に勉強しないし、勉強した知識も砂粒のようなもので血肉にはなりません。問題は「大学に入ってやりたいことがある」と答える学生が三割に留まるような「動機づけの枯渇状況」をもたらしているものが何なのかということです。(宮台真司

これはそうだと思います。
ゆとり教育で「学力が低下した」「いや、こっちの調査結果では歯止めがかかっている」*1
のようなやりとりに意味があるとは思えません。教育制度の改革案として

大切なのは誰にも侵されない心の自由です。心の自由のために、「こころ」の教育をやめさせ、学校の公的業務を知育に限定しなければなりません。
さらに一歩進んで、教員を生徒が自由に選び、教員による学習サポート業務と習得評価業務を分割するという制度を確立すると、事態はさらによくなります。(内藤朝雄

学習者は教育チケットを用いて、学習サポート団体を自由に選択する、そうです。

政策的に重要なのは、第一に、リスクをとった者、がんばった者がより大きな成果を得やすくすること。第二に、たえず「機会を平等」の如何をチェックして「機会の再配分」をすること。第三に、差別感情に抗して「何が成功なのか」という価値を多元化し、尊厳が一時的な尺度の上に並ばないようにすること。どれも、動機づけのスポイルを回避させる機能があります。(宮台真司

なにを選ぶにしても学校をどうするかが大きいことは、よくわかります。
でも、これにイエスと言おうかどーしよか、正直迷ってしまう。
共同体主義がいいからというより、ほんとに「機会を平等・再配分」「価値を多元化」とかってできるのかな。
私はここに悲観的なんです…
うーん、ぬるい世俗共同体に郷愁あるかな、ちょっとわからない。

右は、崇高な精神共同体との一体化を説き──国粋主義が典型ですが──、左は、温かい世俗共同体との一体化を説く──佐藤学が典型ですが──、という違いがあります。でも、日本的な文脈で言う限り、日本における右翼・左翼の違いは、天皇を持ち出すか宮本顕二を持ち出すかみたいなもので、大した違いはありません。まあ、反論するまでもないんですよね。
「人間は、崇高な精神共同体と一体化しないと、生きられないんだ」「お前はな」。「人間は、温かい世俗共同体と一体化しないと生きられないんだ」「お前はな」。以上!(笑)

宮台さん、佐藤さんが嫌いなんですね(笑)
 
宮台氏のあとがき。

繰り返すが、統治権力側のエリートに対抗するにも、エリートが必要である。例えば徹底した訓練を受けた官僚エリートの「手口」に通暁し、対抗し、裏をかくには、訓練された市民エリートの協力なくしてはほぼ不可能なのだ。
それには、官僚エリートや財界エリートでは吸収できないぐらいの、エリート予備軍の分厚い人材を養成するシステムが必須だ。彼らには高い動機づけ、高い倫理観、抽象的な世界観、実践的な能力、そして相互にチェックし合えるような利害の分断が必要とされる。
『学校リベラリスト宣言』あとがき(2002.8.20.)より

 
ウチのオレ様は「もう5年も学校いってるよ」「学校に監禁*2されてるもん」なんて言う。
やっぱりキュークツかな。それともワガママかな…*3
規則については「結果がわかってるから…」とか言いながら範囲内で楽しむこともできてはいるみたい。
なにかってゆうと「んー、むりっぽい」だけど(笑)
 
 

*1:学力低下に歯止め 小中学生45万人学力調査(朝日新聞 2005.4.23)

*2:最近の事件のニュースで覚えたみたいです…

*3:不思議なのは、こういうこと私にしか言わないことです。ほかの人にはけして話さない。たぶん友だちにも話してないはずです。そのうち私にも言わなくなるでしょうけれども。