水俣病関西訴訟の勝訴原告への医療費支給事業が1日から始まりました。

実際問題として、「こういう時には不法行為が成立する」と判決がはっきり言ったわけで、「補償と賠償は理屈の上で違うから、二重基準でいい」とだけ言っていいのか。今回損害賠償を受けた人と主要な部分で同じような状況の人が損害賠償の訴えを提起したら、勝訴の可能性が非常に強い。同様の訴えが起き、負ける可能性が高いのに訴訟が起きるまで待っていていいのか。これも一つの政策問題だが、国民の常識的な判断の重さをどの程度感じるかという問題だと思う。(元最高裁判事 亀山継夫氏)
『水俣病問題懇談会 委員に聞く』熊本日日新聞 2005.5.30)

同じ被害があって同じ補償がされないことを、「過去の経緯を踏まえた結果」と「理解してほしい」て
やっぱりおかしい…
 
 
新潟水俣病についての記事。

症状は1人1人、その日その日で違う。男性が一番苦しんでいるのは聴覚障害。補聴器をつけてもうまく音を拾えず、家族の会話から自然と離れてしまう。家族でテレビを見ても一緒に笑えず、みんなが寝た後に起きてテレビをつける。「症状を話しても誰も喜ばない。全部自分持ち」だ。


語り部は目に見えない痛みを語り、公害の恐ろしさを訴える。一方で「話すことで救われたり、発散したりしている部分もある」と男性はいう。
語り部になるとき、家族は反対はしなかったが、賛成もしなかった。新潟水俣病40年の節目に当たり、男性はマスコミに実名で登場し、現状を伝えることも考えていた。しかし、家族や親類の同意は最後まで得られなかった。差別や偏見は根深く、「三代は続くかもしれない。静かに暮らし、この時代が終わるのを待つしかない」と語る患者もいるのが現実だ。もっと広く訴えたいという思いと、家族を気遣う気持ち。「解決」後の今も男性の悩みは消えない。
『傷跡いまも 新潟水俣病40年』新潟日報 2005.6.11)


「全部自分持ち」この言葉に、私は、どうしたらいいんだろ…
 
 
六月を奇麗な風の吹くことよ(正岡子規