不信の連鎖

 

水俣病未認定患者50人が提訴 国・県・チッソ相手取り( 2005.10.3)
 

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原告側は「『水俣病ではない』ことを前提にした『救済』。場当たり的な対応で水俣病患者を封印しようとしている」と厳しく批判。原告団長の大石利生さん(65)は「行政は正当な救済をすべきだ」と主張している。

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不知火患者会 10月3日提訴へ 国や県は困惑(熊本日日新聞 2005.9.28)
 

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不知火患者会と同じく関西訴訟最高裁判決後の患者認定申請者でつくる団体の代表らは、「独自の路線で闘う」と淡々と受け止めた。
二十六日にチッソ水俣本部(水俣市)で座り込みを始めた水俣病出水の会(尾上利夫会長)。この日も約十人が「千二百人の会員全員を水俣病と認めろ」と書かれた横断幕を掲げ、座り込みを続けた。尾上会長は「われわれも提訴する方針に変わりはない。座り込みもこのまま継続する」。
約二百人で構成する水俣病被害者芦北の会(村上喜治会長)は裁判はせず、一時金を含む医療手帳並みの救済を求め交渉路線を継続する方針。村上会長は「国との交渉の余地はまだ残っていると思う」と期待をつなぐ。
今年六月に発足した水俣病被害者互助会(佐藤英樹会長)も約八十人の会員を抱える。事務局の谷洋一さんは「行政が動かないなら被害者自身で枠組みを変えていくしかない。それだけ被害者が追い込まれているということ」と理解を示した。
江口隆一水俣市長は「もやい直しが進んでいる中で複雑な気持ちだが致し方ない」と話している。

1年前は、また新しい裁判が始まるなんて思っていませんでした。
やりきれない気持ちになります。
 
水俣病と認めてほしい」と言わないでいれば、医療費は全額支給される
でもそれは、行政は「メチル水銀の曝露を否定できない症状はあっても認定できない患者」に
向き合おうとしていないということでしょう。なにも変わっていない。
認定申請者は3000人を超えて、そのなかには現行保健手帳保持者の116人もいます。
基準が見直されなければ、たぶん認定はむずかしいのでしょう。
だけど、このまま置き去りにするなら終わらない…
 
新対策の一環として始まった懇談会では、患者団体からのヒアリングも行われています。
これほどの時間がたっていれば、それぞれの立場で意見が違うのは当然だと思うのです。
むずかしい。それでも、行政にはこのような声に応えなければならない責任があるはずです。
不信の連鎖のなかで水俣病は、けして終わっていません。

第3回水俣病問題に係る懇談会 水俣病関係団体からのヒアリング[1](2005.7.21)
 
環境省が現在計画しているように、本年末に保健手帳が再開されます。[1]行政に認定された水俣病患者、[2]政府解決策で医療手帳の対象とされた者、[3]関西訴訟、水俣病第二次訴訟勝訴原告、[4]再開保健手帳の対象者の4種類に患者が分類されることになります。さらに認定申請を続ける人たちもいます。
私は、このような状態はおかしいと思います。確かに長い時間の間に、それぞれの困難の中でいろいろな救済方法が生まれてしまったことは、今現在の結果としては仕方のないことでしょう。しかし、これをそのままにしてよいはずがありません。
かつて、私たち認定申請者を「補償金目当てのにせ患者」と呼んだ熊本県議会議員がいました。「砂糖にたかるアリ」と書いた週刊誌もありました。「認定されて1,600万円がもらえるなら私も水銀を飲もう」と発言した製薬会社の会長がいました。政府解決策の後では、「にせ水俣病患者260万円賠償までの40年」という特集記事が組まれました。こうした言葉で突き刺され、傷つけられてきた私たちの苦しみがわかっていただけますか。
被害の程度、現在の症状の重さによって、救済のあり方に段階がつけられるのはいたしかたないと思います。しかし、水俣病被害は水俣病被害なのです。水俣病患者は水俣病患者なのです。同じ原因で発病させられた人々を不必要な区別をしてわかりにくくすることは、被害者を本当の患者とにせ患者に分ける考え方の始まりです。最高裁の判決で判断条件が否定されたわけではないと環境省ははっきり繰り返して言います。しかし、水俣周辺で発生したメチル水銀中毒症は、チッソが垂れ流したメチル水銀中毒、発病した水俣病患者以外にはないのです。
水俣病とは、体のどこがやられて、どのような症状であるのか、長い期間後遺症として残るのはどんな症状なのか、治療はどうしたらよいのか、どんな検査をして水俣病患者を見つけたらよいのか、最高裁判決は行政と医学者にたくさんの宿題を出しました。このことに取り組まずに「水俣病の教訓の発信」などと言えるはずがないのです。
水俣病とは、どんな公害病であるのか。医学者が動かないなら、国がその場を提供して、きちんと議論をしてもらい、判決を取り入れて判断条件をつくり直すべきです。それに基づいて、行政による救済がどのようにあるべきかを考え直すべきです。そうした当たり前のことが一切行われずに、保健手帳再開の言葉だけが踊っています。(水俣病患者連合 佐々木清登さん)

第3回水俣病問題に係る懇談会 水俣病関係団体からのヒアリング[2](2005.7.21)
 
これは、水俣病の家族の一例です。水俣病一族の水銀漬けの家族で、この人だけが棄却されております。ここだけ、棄却されております。最終解決案が、四肢末梢のしびれを有し、当該地区居住者とするとされているならば、当然、認定されてしかるべき人です。ほかにも同じ区で代々の漁師で、家族内に認定患者を抱えながら、本人だけ棄却された不可解なケースがあります。
これはおじいちゃん、おばあちゃん、両親たちが認定されているんですけれども、兄弟全部認定されて、この人だけ棄却されております。これは四肢末梢のしびれ、あんたないんかと言うと、いや、それが一番ひどいんですと言うんですけれども、それならその居住歴なんていうものを簡単に分かっているはずですから、なぜ棄却されたのか私には理解できません。
最終解決案、全面解決案とうたうならば、当然、これらの人は認定されるべきでした。このような解決案であるならば、行政にはこの該当地区の昭和30年から43年12月までの居住者はちゃんと把握できているはずですから、自己申請制度など採らずに、原爆方式と同様、これらの人々を一括対象者とすることもできたのではないでしょうか。そうしていれば、今でも人々をためらわせ、悩ませている申請制度、申請しろと言ってもしませんとか、しますとか、申請した人、しない人とか、補償をもらった人、もらわなかった人とか、水俣病患者、にせ患者という差別の構造は生まれなかったはずです。同じく家族間でも、また、ある漁業部落でも申請する、申請しない、とけんかとなる例など、珍しくありません。今でもそういう漁師部落が存在します。こういったことをそのまま放置して、よろしいのでしょうか。何ら全面解決にならないで、そのまま問題を残していくことになるのではないかと思います。
当時、まさに村山内閣では、エイズ問題で、史上初めて殺人罪で厚生省の役人や帝京大学安部英副学長が法廷に引っ張り出されておりました。水俣病問題でも、国・県の責任が裁判で問われようとする、まさにそのとき、法廷に引き出されることを恐れて村山内閣から突如、最終解決案が提示されました。
その条件として、裁判を取り下げることとした1項がそれを如実に語っていると思います。このような泥縄式の解決案が何をもって全面解決策といえるのでしょうか。今こそ、行政と地元住民が一体となって、真の全面解決を図るべきではないかと思います。松本医院長