『「医療者」と「一般人」の悲しき断絶』を拝見しました。
この事件について、「CTをとってさえいれば助かった」とか思ってませんし
「CTをとっていれば助かったかもしれない」が結果論なのかどうかもわからないのですけれど。
 

あらためて、「一般人」の反応の医療者への冷淡さには、背筋が凍る思いがする。そもそも、担当医がわりばしを突き刺したわけでもないし、その結論にたどり着くヒントも、診療した時点ではほとんど無かった。そして、今回のようなケースは、以前にも報告例がないので、ごくあたりまえの対応を担当医はしただけだと、僕は感じた。現代の医療というのは、そこまで万能ではありえない。

なぜ親の不注意でおこった事故の責任を医師が取らねばならないのか、ですか…
 
ひとの手による行為であるかぎり事故は起きうる、いつもそう思っています。
でもそれは、医師を信頼していないということとはちがいます。
事故は起きうることを含んだシステムやルールが必要だということです。
それがないというなら「医療者」にとっても「一般人」にとっても不幸なことですし
「医療者にとってのリスク」が小さくなることは患者の利益でもあるのではないかと私は思うのだけど
「一般人」と「医療者」のセンスが、そんな掛け離れているというのが実感なのですね…
 
刑事責任のあるなしを追及するための裁判に再発防止のための原因究明を求めるのは
無理があるのだろうと思います。
ですから医療関連死については、検証のための第三者機関が設置され始めているのでしょうけれども。

それから
「過労死するまで奴隷のように働け!」とかは、1度も思ったことないです。
 
 
 

こちらも拝見しました。

 

今日のニュースから 〜訴訟リスク〜
 
「小児科や救急に行くのがコワイ。」
医療訴訟のイメージから、そんな傾向が強くなっているのが現在の若い医師の流れだそうです。
小児科や救急に人が集まらないのは、ハードワークであることに加えて、そういった部分もあるんでしょうか。

CTのある国で
 
「結局どうしろというのだ?」と誰もが思う。もちろん,医者にもそれぞれの考えがあろう。だが,医療はあくまでも社会全体の営みの一部分であって,医者の総和ではない。ある社会でどんな医療が行われるかを決めるのは,最終的には社会そのものしかない。医療が医者を決めるべきで,医者が医療を決めるべきではない*1のだ。
結論は未だ出ていないし,これからも出ないだろう。社会全体がそうであるように,医療も常にその時々の答えで動くしかない。今のところ日本は変らず,いや当時以上に,良くも悪しくも「CTを撮る国」である。