チッソ

 

チッソ 12日に創立100周年 公式確認から今年で50年(熊本日日新聞 2006.1.12)
 
その後、国策に従う形で朝鮮半島に進出、興南(現北朝鮮)に東洋一の化学コンビナートを築いたが、敗戦によって海外資産を失う。五〇年に新日本窒素肥料として再出発(六五年にチッソと改称)。水俣工場は、肥料のほか化学製品の原材料となるアセトアルデヒドなどの日本における主力工場となり、最盛期には従業員約五千人を抱え、高度成長を支えた。しかし、同製造工程から排出されたメチル水銀が原因で、水俣病を発生させた。チッソ百年の歴史は日本の近代百年を象徴する。
チッソは多額の患者補償などに伴う経営危機に直面するが、国、県による異例の公的金融支援で経営を維持。二〇〇五年三月期決算では、液晶材料などの好調を受け、三十四年ぶりの黒字を計上した。
主要グループ企業を含め従業員は約千六百人(水俣本部約五百人)、水俣市のほか、千葉県市原市滋賀県守山市北九州市に四工場を抱える総合化学会社。しかし、黒字経営の一方で、今だ患者補償などのための約千三百億円の公的債務(未償還額)を抱える特殊な企業でもある。
現在の水俣市にとっても同社工場は最大企業で、水俣商工会議所の寺田安郎専務理事は「チッソ勤務の市民は多く、家族もいる。市勢維持のために、今でもなくてはならない会社だろう」と話す。

 

政府、チッソ特例措置廃止 業績好転受け判断(朝日新聞 2006.1.11)
 
政府が00年から行ってきた特例措置は、チッソの経常利益から、患者補償のために借りた熊本県などに返すべき借入金の一部を内部留保に回せるというもの。この措置の結果、04年3月期には67億円の経常利益のうち30億円を内部留保に回せた。チッソ内部留保を使って海外拠点整備など新たな投資に回してきた。
チッソは、患者補償が負担になって00年に経営危機に陥った。補償が続けられなくなるおそれがあったため、政府は、内部留保の措置のほか、熊本県からの借り入れの国による立て替えや、95年の政治解決の際に患者に払った一時金の債務免除など「極めてお得な制度」(政府関係者)で、支援を続けてきた。

 
約1300億円の公的債務、患者への補償費が年25億円、県への債務返済が年50億〜90億円。
政治決着以前は、環境庁は「金融支援する法的な根拠がない」としていました。
でも、倒産してもおかしくないような状態でも支援されてチッソは残される。
被害者救済のために。いえ、私たちがチッソを必要として依存しているから。
 
加害責任を負う原因企業として。
地域経済のために。情報社会に液晶部品を提供するために。
訴訟の相手として。
水俣病を、1地方の1私企業の問題だからと安心してネグレクトしていられるように。
 
それを断てなければ「水俣病は終わらない」のだとしたら、あまりに遠いと思ってしまうな…