阿賀野川と不知火海と

 
審査会は停止したまま、認定申請者は3300人を越えました。

鹿児島県知事 国の対策を批判「環境省の意義問われる」(熊本日日新聞 2006.1.5)
 
鹿児島県の伊藤祐一郎知事は四日の記者会見で、水俣病問題について「国としての方針が何ら定まっていない。アスベスト石綿)対策には大きな予算を組んでいるのに、あまりにアンバランスだ」と国の対応の遅れを批判した。
伊藤知事は「本当に環境省にやる気があるなら、まずは水俣病をどうするか真剣に考え抜かなければいけない。環境省の存在意義が問われているテーマだ」と指摘。未認定患者らが国などに損害賠償を求めている訴訟については「一人一人(水俣病かどうかの)認否を国が訴訟で行うことが妥当な態度なのか、最高裁判決もあるのだから国はもう少し反省してほしい」と述べた。

検診項目統一 医師らが初会合、確認 早期補償めざす(熊本日日新聞 2006.1.10)
 
原田教授は「行政の認定制度が破たんしている以上、被害者は司法に頼らざるを得ない。確定判決を踏まえ統一した検診方法に基づく共通の診断書にすれば、裁判で原告一人ひとりの病像に関する議論が省かれ、早期補償が実現できる」と強調。一方で「司法の基準で十分だとは考えていない。当てはまらない被害者については医学的な調査研究が必要なことは言うまでもなく、今後の課題」としている。
不知火患者会弁護団の内川寛事務局長は「共通の診断書は、私たちが目指す司法救済制度においても重要」と、裁判で活用することを明らかにした。

 
17日開かれた、第7回水俣病問題に係る懇談会。

水俣病懇談会「認定制度へ提言必要」委員の半数が見解(熊本日日新聞 2006.1.19)
 
提出文書などによると、熊本大名誉教授の丸山定巳氏は「三千三百人を上回る認定申請者が滞留し、(熊本、鹿児島両県の)認定審査会が機能していない現実をみれば、現行の認定制度は破たんしている」と指摘。「新たな補償体系を構築する必要がある」と方向性を示した。
水俣市の小規模通所授産施設代表の加藤たけ子氏は、現行の公害健康被害補償法(公健法)に基づく認定基準の見直しを提言の一つに挙げた。
最高裁判事の亀山継夫氏は、二〇〇四(平成十六)年十月の水俣病関西訴訟最高裁判決以降に認定申請者が増え、損害賠償訴訟が新たに提起されたことを重視。「五十年の節目をうたい、提言を出しても、未解決の事案が相当数残り、国側敗訴の判決が出るような事態になれば、提言自体、茶番劇と化す」と、認定制度の議論は避けて通れないとの見解を示した。
最高裁判決による「司法認定」と公健法に基づく「行政認定」のずれを問題提起する意見や、水俣病を踏まえ、社会的危機が発生した場合の基本的考え方を懇談会で取りまとめる中で、その検討項目の一つに「被害判定・認定の在り方」を挙げる意見もあった。
懇談会は四月までに計三回会合を開き、提言をまとめる方針。環境省最高裁判決後も現行の認定基準を見直す考えがないことを一貫して繰り返している。

 

懇談会報告要旨 新潟患者団体 両方の水俣病重ね合わせて(熊本日日新聞 2006.1.18)
 
新潟水俣病被害者の会、新潟水俣病共闘会議の高野秀男氏】
アスベスト問題など、水俣病に類似した社会的事件は頻発している。懇談会の提言が、環境省設立の原点に戻り、被害者や国民の立場に立った環境行政に取り組むきっかけになることを切望する。
新潟の被害者には「いつも熊本の付け足し。もう少し新潟の方を向いて」という思いがある。両方の水俣病を重ね合わせることが、解決の参考になる。公害が起こったとき、まずなすべきことは、行政の責任できちんと調査し、被害者全員を無条件で救済すること。関西訴訟最高裁判決で国の責任が確定した以上、被害の実態調査を行って救済措置を取るべき。
 
新潟水俣病安田患者の会の旗野秀人氏】
安田患者の会は、新潟水俣病二次訴訟に新潟水俣病被害者の会安田支部として参加したが、独自の運動も並行して続けている。
患者は裁判中、温泉や歌を楽しむのも我慢してきた。救済実現に向けた過去の運動の中で「水俣病患者はこうあるべきだ」という理想の患者像を求め過ぎていたことの誤りに気づいた。現在は映画上映や歌、さまざまな交流などを通して「水俣病で大変だったけど、幸せだった」と感じてもらえるような運動を展開している。

第6回水俣病問題に係る懇談会 会議録(2005.11.28)
新潟水俣病は、水俣病との比較対照で議論になることが多いですが、数値に示される被害者数というのは、熊本に比べて非常に少ないということで、新潟水俣病の被害についての議論は、しばしば省略されたり、あるいは捨象されたりするという傾向にございます。そのような状況がどのように新潟の被害者に影響を与えてきたかということですが、新潟では、しばしば水俣病認定患者に対する、あるいは水俣病未認定患者に対する差別として、「水俣病というのは、熊本で出ているような、ああいう患者さんのことであって、ここら辺では水俣病の患者さんなんかいないんだ」という言説がたびたびささやかれる。結局、水俣病に比して、新潟水俣病の被害が小さいという言説が、地域の中でも一般化してしまっているということが指摘できます。
しかしながら、そのような新潟での水俣病への差別的な言説を、ただ単に「差別しないようにしよう」というだけでは事足りない。なぜならば、その差別の言説というのは、ある意味で被害者同士の間で行われている差別だからであります。(中略)
新潟では、それほど長期間にわたって認定申請が保留になったというケースではなく、その意味では、熊本とか、不知火海沿岸とは異なるわけです。しかし、特別医療事業が拡充されるというような段階に特に問題になり、新潟県も対象にという要望もありましたが除外された。除外される、要するに新潟は違うから除外されるということの現地における意味というものは、制度運用上、熊本、不知火海ではこの特別医療事業は適用して当然だけれども、新潟では若干適用しなくてもいい状況があったという、制度側の判断と、現地における判断というのは全く違うわけです。したがって、和解のときにも、水俣病関係の訴訟が全部終わって、新潟だけ残ると新潟は置き去りにされる。新潟の問題は絶対に解決されないということで、和解への足並みをそろえたというような雰囲気もございましたので、さまざまなところに影響が及んでいくということでございます。(関立教大学助教授)

水俣病問題とくに熊本水俣病問題の最終的解決にあたっては、大変困難な二つの問題をかかえていました。
先にも書いたように、一つは、あまりにも裁判が長くかかりすぎたことです。ただそのことの責任がすべて加害者である国とチッソにあることは間違いありません。
もう一つは、チッソの経営が破綻し、すでに賠償能力を喪失していたことから、患者への補償を確実にするためには、どうしても国から金を引き出さなければならなかったということです。つまり、チッソへの金融支援の約束をとりつけられるかどうかが解決の鍵になっていたのです。
こうした状況から、熊本水俣病の運動は、和解申立以降、国家賠償法上の法的責任の追及ではなく、国の「解決責任」を強調することによって国を解決のテーブルにつかせようとしていきました。だから、被害者への「償い」ではなく「救済」が前面に出てくるのです。
また国が、原告らが水俣病患者ではないという姿勢をくずさなかったことから、病像論の問題が棚上げにされ、対象が「和解手続上の当事者」ということになってくるのです。そして国の金融支援の問題にしても、公害問題の金銭的解決にあたってのP.P.P.(Polluter Pay's Principle 汚染者負担)の原則とのからみで、国が「加害者」からはずされ、その結果、補償の額も当然低く抑えられることになってしまうのです。
私はこの和解の進行のなかで、熊本の被害者が和解の道を選ぶことに反対したことはありません。ただ、和解の道を進めば進むほど、水俣病問題自体の本質があいまいにされていくのを恐れました。
新潟の場合、水俣とは、
1.責任のうえで国・昭和電工とも水俣の場合より重いこと
2.昭和電工に十分な賠償能力があること
3.裁判原告の数が水俣よりはるかに少なく、裁判闘争を継続していくことが可能であること
の三点で事情が違います。
新潟の弁護団長として新潟が将来和解で解決するとしても、新潟での和解は熊本レベルであってはならないのです。
 
新潟水俣病の三十年―ある弁護士の回想 ISBN:4140804920

 
潜在患者20000人と胎児性患者1人。この数字で1人ひとりの痛みを比べたりできないけれど…
でも、どこか同じ痛みを意味しているのかなって思ったりします。
 
 
そしてチッソ

政府、チッソ特例措置廃止 業績好転受け判断(朝日新聞 2006.1.11)
 
政府が00年から行ってきた特例措置は、チッソの経常利益から、患者補償のために借りた熊本県などに返すべき借入金の一部を内部留保に回せるというもの。この措置の結果、04年3月期には67億円の経常利益のうち30億円を内部留保に回せた。チッソ内部留保を使って海外拠点整備など新たな投資に回してきた。
チッソは、患者補償が負担になって00年に経営危機に陥った。補償が続けられなくなるおそれがあったため、政府は、内部留保の措置のほか、熊本県からの借り入れの国による立て替えや、95年の政治解決の際に患者に払った一時金の債務免除など「極めてお得な制度」(政府関係者)で、支援を続けてきた。

「水俣問題終息へ」チッソ、書面で認識(朝日新聞 2006.1.24)
 
あいさつ状は後藤舜吉会長と岡田社長の連名。水俣病について「痛恨の極みで(創立から)後半50年はこの負の遺産との苦闘の歳月だった」としたうえで、「幸い96年の『全面解決』以降この問題も終息に向かいつつあり、弊社は復活への道程を歩みつつある」と記している。

「未認定の方々への対策は政府解決策がすべて。当時でき得る限りの対応をしたというスタンス」
最高裁判決以降の状況を無視しているわけではない、とのことです。

私たちは、被害者であると同時に加害者でもあります。企業の「加害責任」というよりは「課題責任」と言い直した方がいいでしょう。加害者も被害者も共通の課題を背負っています。このため、水俣病事件で断たれた地域のきずなを再び結ぶ「もやい直し」は、チッソを欠いては実現しません。私たちの呼びかけに対し、協賛までには至らなかったが、チッソの社員の一部が個人的に「奉納する会」の会員になってくれました。会社全体の「意思」を変えるには多くの時間が必要ですが、一人ひとりの人間が壁を乗り越えることは可能です。実質的な協力と受けとめ、能の奉納をきっかけに対話の道を切り開きたいと思います。(緒方正人さん)
http://mytown.asahi.com/kumamoto/news.php?k_id=44000139999990275