10年

 

薬害エイズ:和解10年 白血病、肝硬変など闘いは今も(毎日新聞 2006.3.23)
 
ストレスも問題だ。HIV感染が告知されるようになって20年になるが、この間、被害者のほとんどは実名を公表せず、社会との間に壁を築きながら生活してきた。30代の男性は「正社員としての就職や恋愛、結婚も難しい。腹を割って他人と話す機会も少ない。カウンセリングを受けても問題は解決しない」と語る。

薬害エイズ:和解10年 遺族の半数以上がうつ傾向(毎日新聞 2006.3.24)
 
これまでの和解者総数は1378人。現在もなお東京地裁で3人、大阪地裁で1人が係争中で、東京地裁のケースでは、国は「被害者は投薬から20年と4日経過してから提訴しているから、損害賠償請求権が消滅している」と主張。被害者側は「感染を知ってから4カ月しかたっておらず、国の主張はあまりにもひどい」と反発を強めており、行方が注目される。
東京HIV訴訟弁護団の仁科豊弁護士は「過去にも決心がつかず提訴に踏み切れない被害者がいた。被害者総数は1500〜1600人になるのでは」と話している。
 
産・官・学(医)の癒着が生んだ薬害エイズは、東京・大阪両地検による強制捜査に発展。安部英(たけし)・元帝京大副学長(死亡)、元厚生省生物製剤課長の松村明仁被告(64)、旧ミドリ十字の松下廉蔵元社長(85)▽須山忠和元社長(78)▽川野武彦元社長(死亡)の5人が業務上過失致死容疑で逮捕・起訴された。
押収された安部元副学長の日記から「(加熱製剤の開発で先行していた製薬企業の)トラベノール来り。金を収めないことを言う、絶対に優位は与えない」(83年11月)との記載が見つかったことや、82〜84年に製薬企業から元副学長側に、1億円以上の献金が行われた事実を検察が裁判で明らかにするなど、刑事手続きならではの真相解明が進んだ。
ただ、元副学長に対する東京地裁判決(01年3月)は「(患者死亡の)予見可能性は低く、85年当時大多数の血友病専門医が非加熱製剤を投与していたことからすれば、元副学長だけに過失を認めることは出来ない」として無罪を言い渡した。検察側は控訴したが2審公判中の04年2月、心神喪失で公判停止となり、元副学長は05年4月に死亡した。
松村被告に対する1、2審判決も、元副学長と同じ患者への85年の投与に関する部分は無罪とする一方、86年の投与について「非加熱製剤を回収する注意義務を怠った」と官僚の不作為(怠慢)を初めて有罪認定した(上告中)。
一方、松下、須山の両元社長は最高裁で上告が棄却され、実刑が確定。川野元社長も1審で実刑判決を受け、2審の途中で死亡した。