認定基準その2

 
水俣学 研究序説 ISBN:4894343789』からメモ。
(第7章しか読んでませんけど、すっごくわかりにくいので)
 

国は、78年時点でチッソの倒産を容認しえなかった。なぜなら、被害規模が確定していない段階では、そのような手段はとてもとりえないものであった。チッソを、存続させるための言説は、水俣病事件における国家の果たした役割を真摯に見つめようとしない以上、「汚染者負担の原則」であるほかはなかった。そうするとき、国は「汚染者」を維持・存続させることをもって、国の「責任」を回避しつつ実質的に「責任」を果たすことになるのである。水俣病事件に関する責任は回避しながら、しかし被害者救済制度の保護者としての責任を果たすことになるのである。
 
第7章 水俣病被害補償にみる企業と国家の責任論 より

 
 
チッソへの支援について。

1973年 補償協定
1978年 水俣病対策について 閣議了解(1978.6.20)
     認定業務の推進、チッソへの金融支援、水俣・芦北地域の復興策が示され
     2000年まで県債発行による支援が続けられる

同社の経営基盤の維持・強化をつうじて患者に対する補償金の支払いに支障が生じないようその発行額について配慮する。

1982年 経常利益の半分については補償金の支払いから解放し内部留保が認められる
1993年 臨時特別金融支援(9月)
1994年 「金利負担の軽減及び今後の元利債還金の増加の平準化資金繰りの円滑化に資するため」
     低利での借り換え
     97年度、再度同じ条件で借り換えをおこなう
1995年 政治決着
     水俣病対策について
     水俣病対策について(1995.12.15)
 
1997年、補償金支払額は全額県債発行によって保証される
1999年 平成12年度以降におけるチッソ株式会社に対する支援措置水俣病に関する関係閣僚会議申合せ 1999.6.9)
2000年 平成12年度以降におけるチッソ株式会社に対する支援措置について(2000.2.8)

とはいうものの、チッソはこの抜本策においては、債務を免除されたわけではないということである。
有り体に言えば、「ある時払いの借金」に変わってしまったということであろう。もちろん、国が公的資金を投入しているわけであるから、チッソからの返済を求めなければならないわけであるが、チッソが返済できない以上、これはいわば不良債権化したと解釈できるかもしれない。しかし、不良債権であってもあくまでも債権である以上、チッソにとっては負債として残り続ける。すなわち先に見た貸借対照表の異様な構造はそのまま残り続ける。この累積した債務は最終的には国が引き受ける、つまり水俣病解決支援財団の時のように免除するか、あるいは将来、清算(倒産)してしまうという可能性もあるのである。

2000年 財団法人水俣病問題解決支援財団のチッソへの貸し付け金返済免除
     (95年一時金支払い見込み額で国の一般会計と県債での出資による)

このような方式が可能になった背景には、この救済対象者が水俣病と「認定」された人々ではなく、和解の過程で一時金と医療費を受ける人々だ、という事実がある。
つまり、水俣病と認定されていれば、損害賠償の対象となり汚染者たるチッソが補償しなければならないのであるが、「認定」されていない以上、不法行為を前提としない「救済」の対象となりうる。したがって、国が救済費用を負担したとしても国家の賠償責任を問われることなく「汚染者負担の原則」に抵触しないであろうと考えられる。したがって、事実として国がすべて支払ったとしても、容認されるという理屈が成立しうるのだろう。

 
2005年 政府、来年度の内部留保特例を延長せず
 
 
 
拝見しました。

金融機関から見た水俣病(その1)(Hidetoshi Iwasaki's Blog)

金融機関から見た水俣病(その2)(Hidetoshi Iwasaki's Blog)