[この人に]坂井優さん(朝日新聞マイタウン熊本 2005.1.23)

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−−勝訴が、問題の解決になりますか
司法が行政の誤ったところを判決の形で問題にする。でも、それだけでは行政を変えられない。国民世論を変えない限り、変わらないと思う。水俣病にしてもハンセン病にしてもそれぞれ濃淡はあれ、国民世論をどう変えていくか。判決はあくまで手段。終着点ではない。そういう意味では、(行政相手の訴訟は)国民世論を変えていくための出発点であって、効果的な道具だろう。結局は、司法によって行政の仕組みを変えるという、ルールの問題だと思う。

−−行政の方がデータ、資料をたくさん持っている。裁判でそれを突き崩すデータを集めるのは難しいのでは
これはね、王道は無いんだよね。結局、弁護士だけでは無理なわけ。多くの国民に問題を知らせて、協力を願う以外ない。水俣病の裁判だってそうですよ、国会図書館で調べてきた資料だけでは到底勝てない。内部資料も含め、行政の資料もいろんな形で裁判に出てくる。
水俣病もね、不思議な裁判だったと言われた。国の側は、国の資料を出さない。原告の方が、国の内部資料を出してくる。この国の行政相手の裁判というのは、逆転してるよね。国は情報を裁判に出して堂々と自分たちにやっていることの是非を問うべきで、そうしていない現状が、問題だと思う。

水俣病訴訟、ハンセン病訴訟、川辺川利水訴訟……どれも板井さんが直接かかわった、熊本をめぐる裁判だ。行政訴訟や国家賠償請求訴訟など、すべて行政側が敗訴している。
行政訴訟は「原告になる資格(原告適格)が無い」として門前払いされる例が多いうえ、実体審理に入っても、行政側の方が裁判に使える資料をたくさん持っている。
原告の勝訴率が極めて低いため、司法制度への批判も多かった。そのため昨年、行政事件訴訟法が改正され、原告適格の拡大など見直しが行われたほどだ。

「人権が一番侵害されるのは『戦争』の時だと考えると、その対極は『平和』になる。それを維持し、ふくらませるのを手伝うのが、我々の仕事ではないか」
熊本をめぐる裁判で、行政側が立て続けに敗訴したのは、国民の権利、人権が強く侵害されてきた歴史を物語る。板井さんの言葉を借りれば、熊本の「平和」は小さいことになる。これからも法廷での「戦い」は続きそうだ。(小堀龍之)

いたい・まさる 那覇市出身。熊本大法文学部卒。76年に司法試験に合格。79年の県弁護士会登録以降、水俣病訴訟弁護団事務局長、ハンセン病国賠訴訟西日本弁護団事務局長、川辺川利水訴訟弁護団長など、行政を相手取った裁判に数多くかかわってきた。全国公害弁護団連絡会議の幹事長も務める。