医学モデル

 
♪三足わらじで福祉を考える♪ より。

http://d.hatena.ne.jp/jasmine156/20050612/p1
すべての患者に対して、定期的に「なぜ退院できないのか」を検討することは、とても重要な行為だと考えている(それを検討し吟味しない病院は治療機関とはいいがたい)。「退院基準」は、「入院基準」以上に社会的条件に影響されやすい。退院後の生活が成り立つだけの社会的諸条件が整備されたなら、退院基準は下げることができる。しかし、不幸は人間としての不平等にある。私たちは歴史的に、医学的な退院基準に社会的諸条件という複雑な要素を重ねてきた。その結果、精神障害者への差別が精神医療の世界に「常識」として入り込んでいるのである。

家族が引き取らないという理由で入院しつづけている患者がいるならば、もう一度、家族とは何か、現代社会における社会的扶養とは何か、精神障害者の生活権とは何か、精神障害者の自己決定を疎外することは私たちの権限として認められているのかを問うべきであろう。

http://d.hatena.ne.jp/jasmine156/20050613/p2
私は、何度となく住民との戦いを繰り返してきた。最近は、なぜ障害者が住むのに住民の理解と合意を必要とするのか疑問に思いはじめている。へつらって住民に頼み込まなければならない理由はまったくない。生きる権利、生活の権利は法治国家において保障されている。もし彼らが迷惑行為を行なうのであれば、法に触れる行為があるのであれば、当然、本人が責任を取るべきである。私たちは、このごく当たり前の考え方を実践しはじめている。

http://d.hatena.ne.jp/jasmine156/20050615/p2
私が地域活動に力を注いだ理由は、精神病となったからといって精神病院に彼らの人生を埋もれさせてはならないと考えてきたからである。私の20年来の地域活動は、いまでも精神医療改革といった側面を持ちつづけている。精神障害者の主体的生活が奪われつづけている不幸な現実は、精神医療のあり方にこそ原因がある。現在の精神医療は、中核機能である治療に加えて、大変多くの周辺機能を拡大してきた。その結果、相対的に治療機能の低下を招き、生活福祉機能を医療の中に取り込み、精神医療の実態は施設化の様相となっている。最近は周辺機能の拡大を、精神保健福祉行政も巻き込んで地域にまで広げてしまった。地域生活までも医学モデルによって取り込んだ不幸な現実である。