silent tsunami

 

「性差解消教育、はびこっている」中山文科相が批判(朝日新聞 2005.6.5)
 
中山成彬文科相は5日、宮崎県西都市で開かれた教育関連のフォーラムに出席し、「教育の世界においてもジェンダーフリー教育だとか過激な性教育とかがはびこっている。日本をダメにしたいかのようなグループがある」と述べ、文化的・社会的に形成された性差の解消を目指すジェンダーフリーの教育などを批判した。
フォーラムは日本青年会議所九州地区宮崎ブロック協議会が主催。中山文科相は「私たちはこれからの日本で生きていく子どもたちを素直に育てたい。できれば世の中のために貢献できるようになってほしいと思っています」と続けた。

高校以下の性行為容認せず 中教審が基本方針(2005.7.14 共同通信)
 
性教育について議論している中教審の専門部会は14日までに、高校生以下の子どもの性行為を容認すべきではないとする立場に立って性教育の指導をすることで一致した。中教審が子どもの性行為を許容しないとする基本方針を示すのは初めて。
同日の専門部会で示された、審議経過の概要案で明らかになった。
文部科学省の学校健康教育課は「性行為を一切禁止するものではないが、性教育をする前提として、性行為を容認しないことを基本スタンスにしたい」としている。
専門部会は、高校卒業時点で身に付けているべき性教育の内容を議論。性行為について「子どもたちは社会的責任が取れない存在で、性感染症を防ぐ観点からも容認すべきではない」とした。
親や恋人との人間関係の理解やコミュニケーションの能力を重視することや、安易に具体的な避妊方法の指導をするべきではないことでも一致した。

許容しない行為についてなにを、どのように教えるの??
 

米国ローティーンのSEX感覚、580人の調査で明らかに(日経BP 2005.4.22)
 
これらの結果から著者らは、医療従事者や教師は、こうした傾向を十分認識した上で、教育やカウンセリング、STDのスクリーニングを行う必要があると述べている。
日本でも十代女性の間に口腔性交が広まり、クラミジアの咽頭感染が増えている。もはや中学生を対象とする性教育の場で、口腔性交のリスクと対策を教えるべきだろう。

「手軽に治ると思われて教育上よくない」て、どーよ(爆)
耐性菌が拡がりつつあるそうですよ。で、こゆうニーズがあるわけです。1シート4000円!!
このあたりについては厚労省サーベイランスがあるはずだけど、見つかりませんです。
こんなこと言ってもおとーさん方は、STDになったりするのは「自業自得」て思うんでしょか。
そうやって追い詰めても、なにも変わらない。
http://d.hatena.ne.jp/using_pleasure/20050305/1109971871、読んでみていただきたいです。
ついでですけど、海外出張で「お持ち帰り♪」て、ヤバいかもですよ(笑)
 
文科省エイズ教育に関する予算を打ち切ってるし、公衆衛生の領域ととらえて厚労省の事業にできないですか。
医療からのアプローチとしてドライに、保健婦や医師を派遣して授業してもいいと思うのです。
もうね、先生方にお願いするの気の毒な気がしますもの。私だって、こっぱずかしくてイヤです(笑)
長期的な医療費削減を考えるなら、少なくとも高校生には、現実的なSTD教育をすべきだと思います。
実際、妊婦のHIV感染は増えていますし、血液行政にも関わることですし。
「健康増進!!」なんてのより、きちんと効果あると思うんですけど…
 
インフォームド・チョイスを可能にするなんて、とてもむずかしい。できないことかもしれません。
それよりセックスするなと言えばいいだけなら簡単です。
でもそれで止められるとは思えません。そのあいだに感染症は蔓延してしまいます。
「保険証を使えば親にバレるから病院いけない」て子もいる現実を無視して貞操観ぽいのを押し付けて
ますます「たすけて」を言えなくさせてしまうなら、オトナの無責任じゃないですか…
 

どう正す性教育 中教審、倫理面に着目産経新聞 2005.07.19)
 
今月十四日の専門部会ではこれまでの審議経過を概要案として初めて公表した。性教育は、児童生徒の発達段階を踏まえた指導が大切とし「(性教育は)人間関係の理解やコミュニケーション能力を前提とすべきであり、その理解の上に行われるべきだ」と性の倫理的側面に着目。「安易で具体的な避妊方法などの指導などに走るべきではない」「集団で一律に教えることと個々の児童生徒が抱える問題に応じて個別指導する内容を明確に区別して実施すべきだ」とする考えでおおむね意見の一致を見た。

性について、特定のありようを“善”と提示するなんてできないことでしょう。
ですから、性“教育”というかたちでは、どうしても無理が出てくるのはしかたのないことです。
それは、学校の役割ではないかもしれないし、「社会的責任が取れないうちはすべきでない」な道徳観を
「ちがう」とも言い切れないのがオトナの本音なのだと思います。
だからといって建前を押し付けるだけではリスクが大きすぎるのではないでしょうか。
むしろ「性交教育」で感染症を防ぐための知識をシンプルに。いまのうちに。
 
古い記事。

【性感染症学会速報】保護者と高校生に大きな意識ギャップ( 2003.12.8)
 
一方、若者たち自身と保護者では、性行動に対する許容度のギャップは大きい。性行動はいつまで控えるべきかについての回答を見ると、結婚するまでは控えるべきとする回答が最も多くて35.1%を占め、中学を卒業するまでが5.4%、高校を卒業するまでが29.7%、就職するまでが16.2%など、8割の親たちが、せめて学校を卒業するまでは性行動を控えてほしいと思っていることが判明した。高校生に対するアンケートでは、約7割は「愛情があれば性行為を行ってもよい」と考えている。

その他。
http://d.hatena.ne.jp/arcturus/20050426#p1
 

大人が子供になにを知ってほしいかではなく、子供が知りたがっていることを教える必要があります。
チェンマイ大学教授でエイズ教育に携わるウサ・ドゥオンサさん)

 

よく考えると、児童期・学童期というのは、そんなものがあるのかというと、本質的にないような気がしている。
それは学校制度というものと“こみ”でできている時期のような気がする。
同時にこの児童期の長さというのは、その共同体あるいは壊れてしまった共同体でもいいし、現在のような文明社会でもいいが、共同体の文明の発達度とたいへん関係が深い。
文明が発達すればするほど、この児童期なるものは延びてしまう。人工的に延びていく。
児童期は、生理的あるいは生理にともなって、精神的な区分からいえば、幼児期と思春期の間にある。
ところが、その間だけでは、現在の文明の状態でもそうだが、児童期なるものは終わらない。
高校にも行かなきゃならない、大学にも行かなきゃならない、大学院にも行かなきゃならないというふうになって、児童期なるものは文明の発展とともに、どんどん人工的に延びてしまう。本来的にありえないはずの時期がどんどん延びていってしまうことになる。
あきらかに、児童期なるものは、思春期と幼児期の間に何か不可解なつくり方をしている。
児童期に該当するのは基本的に何かというと、それは性的発現の時期に当たる。
性的発現を抑制する、あるいは弾圧して、その代わりに禁欲的に知識を勉強する、あるいは技術を道徳を勉強する。
とくに学校制度ができてからは学校に行って勉強する。そうするほど、児童期だけでは終わらない。
要するに制度上は高校もある大学もあるって形で、見かけ上は性的発現および成熟を弾圧しておいて、つまり第二次的に、潜在的にしておいて、顕在的に知識を学ぶ。
それから技術を獲得する。それから道徳を学ぶ。社会的な振舞い方を学ぶというふうになって、まだ続いている。
つまり、このずれは、共同体の展開・発達とともにどんどん増えていく。
しかし、人工的に作られることと生理的に区分されることとはまるで違う。
だいたい区分することすら本質的にはおかしいことだと思える。しかし、とにかく区分ができちゃってる。
しかも人工的にどんどん延びていってる。このことが問題でないはずはないと思われる。
登校拒否とか家庭内暴力とかいじめとか、そういうのは全部、児童期の延長線で起こっている。
なぜ起こるかということは、本質的には簡単なこと。
性的発現の時期なのに学校はそれを全部抑圧・弾圧して、きちっとした規律とか知識とか技術とか道徳とかを学べというふうに、建前上してあるから。
 
『心とは何か 心的現象論入門 ISBN:4896671031

ここまで言い切るのもなんだかな、だったりですけど、でも学校を考えるとき思い出したりします…