ゲーム

 

http://d.hatena.ne.jp/Hayashida/20050723/p1
じゃあ『「疑わしきは罰せず」でいいじゃないか。ヴィデオゲームの法的規制なんて馬鹿げている』と簡単に言ってしまっていいのか。僕はそうは思わない。
何度も書いているが、暴力ゲームが野放図に垂れ流されている先進国は日本だけだし、ヴィデオゲームを幼い子供に与えるべきではない、という警告は、児童心理の研究書を読めば必ず書いてあることだからだ。
それはなぜか。
「遊び」によって、子供は社会と自己との関係性を学ぶ。特に幼年期における、同年代の子供たちとの遊びによって「他者という存在を受け入れる訓練」を子供は行う。
例えばじゃんけんでもムシキングでもいいが、「ゲームに勝って自分は嬉しい」でも負けた相手はどうなの?「ゲームに負けて自分は悔しい」じゃあ勝った相手はどうなの?対人ゲームであるならば、その「勝った・負けた」という相互の立場を繰り返すことによって、子供は多くのことを学ぶことができる。つまり、「自分と対等の権利を持つ他人(友人)」の存在だ。(実際問題としては、その理解に親(年長者・保護者)が介在しなければならないが)。
翻ってヴィデオゲームおける「他者」とはなにか?それは「やっつけると得点やアイテムが手に入る」敵でしかないし、まれに相手が「役に立つ存在」であっても、それは主従関係であって、(本来遊びによって獲得すべき)「友人」ではない。
『自分以外の「他者」は全員「敵」である』これが(多くの)ヴィデオゲームの構造であり、それを低年齢の児童にはむやみに与えるべきではない。ヴィデオゲームの構造を知らないと「表現の残虐性」にばかり目が行ってしまうが、問題とすべきはそこではない。

 
http://d.hatena.ne.jp/arcturus/20050627#p1