認定基準

 
国の認定審査会は年内に設置されるようです。
 

自民小委 認定業務の措置法改正案提出へ(熊本日日新聞 2006.3.9)
 
熊本、鹿児島両県の水俣病認定審査会が委員不在で機能停止している事態を受け、自民党は九日午前、東京・永田町の党本部で水俣問題小委員会(松岡利勝委員長)を開き、国独自の新たな審査会設置に向け「水俣病の認定業務の促進に関する臨時措置法」の改正案を議員立法で今国会に提出することを決めた。環境省も国の審査会設置を受け入れた。申請期間は来年から十年間とし、両県の審査会を補完する。公明党や野党とも協議して今国会での成立を図る。
改正案の内容は、二〇〇七(平成十九)年一月一日施行で申請期間は一六年十二月末までの十年間としている。現在、両県の知事に認定申請している人が国の審査会に乗り換えることが可能。今国会で法案成立後、約六カ月で審査会の体制を整えることを目指す。
同小委は非公開であり、松岡委員長が休眠状態にある臨時措置法の活用を提案。炭谷茂環境事務次官は「自民党の了解を得ながら、審査業務に全力を尽くす」と答え、国の審査会設置を受け入れた。両県の審査会について滝澤秀次郎環境保健部長は「国の審査会と併行して進めたい」と述べ、委員確保による再開を目指す意向を示した。
会合で魚住汎英参院議員(比例代表)は、国の審査会設置に当たり「国と県で責任のなすり合いにならないようにしてほしい」と要望。園田博之衆院議員(熊本4区)は「環境省が国の審査会委員をそろえられるかがポイントだ」と指摘した。
これを受け、松岡委員長は委員選任に国が責任を持つよう指示。また、熊本、鹿児島両県はあらためて水俣病対策にかかる費用の負担軽減を求めた。終了後、松岡委員長は中川秀直政調会長に協議結果を報告。今国会での改正案提出について了解を得た。

でもあんまり期待されてないみたいですよ。

水俣病:自民小委、「国に審査会」の方針 知事「救済の方向なら評価」/鹿児島(毎日新聞 2006.3.10)
 
水俣病出水の会」の尾上利夫会長は「具体的な救済策を何ら示さず、小手先だけでごまかす手法で、断じて許せない」と批判。認定基準を見直さないことについて「被害申請者にとっては新たな苦しみの始まりだ」と述べた。

水俣病:審査会再開 国に設置方針、委員確保は?実効性は? 期待や不安の声/熊本(毎日新聞 2006.3.10)
 
認定基準を変えないままの設置に、瀧本事務局長(水俣病不知火患者会)は「無作為責任を逃れるためだけの措置。期待できるところはほとんどなく、国の審査会に申請する人は少ないだろう」と推測。ただ、国の審査会委員には「水俣病を正しく判断できる人を選んでほしい」と注文を付けた。

それでも認定基準は見直されません。

認定基準見直し 環境省が検討会設置を拒否( 2006.3.18)
 
環境省の滝澤秀次郎環境保健部長は十七日の衆院環境委員会の答弁で、水俣病認定基準を見直すための学識者による検討会設置について、「新たに開催する考えはない」とあらためて否定した。
検討会設置は、小池百合子環境相の私的懇談会「水俣病問題に係る懇談会」で、複数の委員が強く要望している。答弁は同懇談会の意見集約前に懇談会委員をけん制した格好だ。民主党近藤昭一氏(愛知3区)の質問に答えた。
滝澤部長は二〇〇四年十月の水俣病関西訴訟最高裁判決について「判決は現行の認定基準を否定していない」と、あらためて同省の見解を説明。
その上で、一九八五年の水俣病二次訴訟控訴審判決で現行基準が「厳しすぎる」と批判されたのを受け、同年に医学専門家会議を開催したほか、九一年の中央公害対策審議会でも現行基準を検討したと強調。「その都度、認定基準の妥当性が確認された。それを踏まえ、新たな検討会を開催することは考えていない」と明言した。
水俣病問題に係る懇談会」では、複数の委員が認定や補償の制度を見直すため、医学者や弁護士ら専門家による第三者機関の設置を要望。懇談会の提言の一つとして最終報告に盛り込むよう求めている。環境省側の姿勢に、二十日に予定されている次回懇談会で委員が反発を強めることも予想される。

環境相私的懇 委員、環境省と紛糾 提言取りまとめ先送り(熊本日日新聞 2006.3.21)
 
また前回、有馬座長が懇談会の位置付けを明確にするよう環境省に求めていたのに対し、炭谷茂事務次官は「なぜ水俣病が起こったのかについて行政責任を含めてとらえ直し、二度と繰り返さないための教訓について提言いただくこと」と説明。委員の指摘が相次いでいる認定基準の見直しに関して「そのための専門家会議などの設置は考えていない」と明言した。
こうした環境省の姿勢に委員側が反発。現在の環境省について「患者と最も対立・対決する官庁になっている」「被害者を助けようとしない環境省は役所としての意味がない」などの批判も出て、有馬座長は(1)認定基準の見直しも含め、環境省の考えを超える提言は受け入れる余地がないのか(2)賠償や謝罪をどう考えるかなどについて、次回の四月二十一日に回答するよう同省に求めた。

認定基準含む救済策 あらためて「見直さず」 小池環境相
 
小池百合子環境相は二十二日の閣議後会見で、水俣病認定基準を含めた補償救済策の見直しについて、「行政としてどうこうと対応できるものではない」と述べ、現行制度や対策を堅持する考えをあらためて示した。
水俣病に関する同相の私的有識者会議「水俣病問題に係る懇談会」では認定基準見直しなどを求める意見が強まり、二十日の第十回懇談会でも新規認定申請者の激増など混迷する現状を受け、現行の補償救済策に対する批判が続出。しかし、環境省側は現行制度や対策の見直しを拒んだ。懇談会は紛糾し、当初五月一日までに予定していた提言取りまとめも先送りされている。
小池環境相は「率直な意見と受け止めている。(今後取りまとめられる提言については)中身によるが、受け止めるべきは受け止める」と述べる一方、「(認定基準に基づく熊本県の棄却処分の取り消しを求めた)訴訟が係争中で、新たな救済策も現在進行中。認定基準見直しを含め救済策に対する懇談会の指摘に対応することは難しい」と強調した。

 
 
20日の懇談会で出された救済制度見直しに炭谷次官は「対応できない部分もある」としたそうですが
これに柳田氏が「説明を受けた範囲を出るな、と言われたと解釈すべきですか」と聞き返したとか(議事録はまだ)
ただ、10人の委員のうち認定基準見直しを訴えるのは東京在住の委員が中心なのだそうです…

これまでの経緯をふまえた議論が必要だ。あらたな申請者だけの問題ではない。
基準を見直せば、すでに救済された人との不平等が生まれかねない。(元熊本市長・吉井委員)
 
朝日新聞 2006.3.21)より

 

水俣病50年 第3部 補償・救済 終わりなき混迷(3)国「判断条件見直せば大混乱」(熊本日日新聞 2006.3.24)
 
「認定基準を見直すための専門家会議の設置は考えていない」。二十日、環境相の私的懇談会、「水俣病問題に係る懇談会」の席上、環境省の炭谷茂事務次官はそう言い切った。被害拡大をめぐる国と熊本県の責任を認めた二〇〇四(平成十六)年十月の水俣病関西訴訟最高裁判決以降も、同省は一貫して水俣病かどうかの判断条件の見直しを否定する発言を繰り返す。
その根拠は、「最高裁判決は行政の判断条件の当否について、何ら判断を加えていない」という同省の解釈だ。それだけではない。同省が判断条件を堅守するもう一つの理由がある。それを端的に表す同省幹部の言い回しがある。「判断条件を変えても、結果としてだれも幸せにならない」
最高裁判決は、行政の判断条件より幅広く被害者を救済する条件を示した。これに従って判断条件を見直せば、どういう事態が想定されるか。
見直し後は、水俣病と認定される人たちが相次ぐ可能性が高い。これまで原因企業チッソは、行政に認定された人たちと補償協定を結んできた。補償内容は、慰謝料千六百万〜千八百万円、医療費全額、月額六万七千〜十七万円の終身特別調整手当などだ。
現在、熊本、鹿児島両県の認定患者は約二千三百人。チッソの〇五年三月期決算によると、認定患者の補償費用は二十六億二千万円で、新規認定がないため漸減傾向にある。新たな認定患者の増加に伴い、補償費用が増えれば、チッソの経営上、見過ごせない事態を招きかねないという。
判断条件の見直しは、過去に「水俣病ではない」と棄却されたり、一九九五(平成七)年の政府解決策で裁判や認定申請を取り下げたりした人たちへも影響する。同省幹部たちは「過去にさかのぼって自分たちも認定されたいと期待するのは当然だろう」と口をそろえる。
そうなった場合、国はどう対応するのか。同省はここで、最高裁判決が示した「四分の一を限度とする不真正連帯責任」という考え方を初めて持ち出す。チッソが補償しない場合、共同不法行為者として国と熊本県は、チッソが補償すべき額の四分の一の範囲で責任を負うという判断だ。裏を返せば、水俣病と認定されても、残り四分の三について、国と熊本県に責任はないという解釈だ。
既に認定された患者の間にも「判断条件を変えたら、今の補償水準が落ちるかもしれない。それは困る」との懸念がある。
同省幹部の一人は「判断条件を見直すとなった途端、チッソの経営をめぐり混乱が生じることもあり得る。住民同士の軋轢(あつれき)を招き、地域社会はカオス(混とんとした状態)になり、もやい直しとは反対の方向に動いてしまう」と漏らす。
ただ、同省の想定は、行政が水俣病と認定した人を、チッソが補償するという現行の枠組みを崩せないという前提に立っている。これに対し二十日の懇談会で委員の元最高裁判事、亀山継夫氏が厳しく迫った。「現実に最高裁判決とのダブルスタンダード二重基準)が生じていることを環境省はもっと深刻に考えるべきだ」
現在、熊本、鹿児島両県で約三千七百人が新規に認定申請。うち約九百人がチッソと国、熊本県を相手取り、損害賠償を求めて新たに集団提訴した。同省が、最高裁判決後に打ち出した新保健手帳の申込者は二千人を超えたが、水俣病認定申請を取り下げて新保健手帳に移行した人はわずか約一割。新保健手帳で鎮静化を狙った同省の思惑は外れた。既に現実は混迷している。

私は、遠いところにいて知らないから書けるのかもしれない、いつもそう思っています。
だけど関西訴訟の最高裁判決はなんだったのかって、やっぱり納得できないです。
環境省幹部が「敗訴も覚悟しているが判断条件だけは守りたい」としているという記事を読んでから、ずっと。
あらたに提訴した方すべて認定されるとは限りませんが、それでも司法認定は増えていくのではないかと思います。
それもわかったうえで見直しはできないとしているのでしょうけれども
「判断条件を変えても、結果としてだれも幸せにならない」て、あんまりじゃないかな…

 
 
 
もひとつ。
5月1日の犠牲者慰霊式には小泉首相は出席しないと発表されました。

小泉首相 慰霊式に出席せず 地元から批判の声(熊本日日新聞 2006.3.30)
 
宮本勝彬水俣市長は「首相が出席することで、患者や市民の傷ついた気持ちが少しでも和らぐと願っていただけに残念。正式に返答をいただいた後、患者や関係者の方々に伝えたい」と話した。

水俣病:確認50年…犠牲者慰霊式 首相あて参列要望書、環境省がたなざらし/熊本(毎日新聞 2006.3.30)
 
滝沢部長は、29日にあった実行委総会で首相官邸に伝わっていないことを認めた。その理由として「総理大臣(が出席する)ともなると、いろいろな立場の人の意見が省内に限らずあり、そこにも配慮しながら、今のところは省内で協議している」と説明した。実行委メンバーの患者団体幹部は「実行委を代表して市長が行ったのに環境省が判断するのはおかしい」、他のメンバーも「環境省は実行委の構成団体の一つで、我々と一緒に、首相に来てくれと要望する立場ではないのか。スタンスを説明してほしい」と迫った。
これに対し、滝沢部長は「官邸への相談はハイレベルな判断が必要。官房長、事務次官と協議している」と繰り返し、宮本会長が「今後、環境省でも積極的に対応してもらいたい」と注文を付けて引き取った。
総会後、記者団の質問に対し滝沢部長は「省内で複数回、検討した。現時点で伝えられていないことには、批判も甘受する」と言いつつ「必ず伝えるという約束は現時点でできない」と語った。

いやんなるな。んと、こゆうときはビックル飲めばいいですか??
いま行かないでいつ行くだろ。
公式認定から50年の節目を一時的なイベントにしてはいけないとしても、です。
 
 
 
村山元首相のインタビュー。

解決したはず…残念 水俣病「95年救済」村山元首相に聞く西日本新聞 2006.3.28)
 
水俣病の未認定患者救済問題で一九九五年の政治決着を実現した元首相の村山富市氏(82)=社民党(当時社会党)=が大分市の自宅で西日本新聞のインタビューに応じた。首相だった当時は行政責任を認めなかったが「やはり国の責任は免れない」と明言。患者認定基準に異を唱える訴訟が続き、混乱が収まらない現状について「非常に残念。政治家の決断が必要だ」と訴えた。村山氏との主なやりとりは次の通り。
 
―当時の政治決着はどのように動きだしたのか。
自民、社会、さきがけ(当時)が連立政権をつくったとき、戦後五十年の節目じゃから未解決問題を処理しようと方針を決めた。水俣病問題も三党で対策委員会をつくった。裁判が長引いて被害者が高齢化し、患者団体から「和解のテーブルについてくれ」と国に強い要請が来ていた。
 
―与党内や官僚の抵抗はあったか。
社会党が首班を占めとるわけじゃから、自民党も無視するわけにはいかん。むしろ官僚から抵抗があった。九五年七月に福岡市で患者団体の代表と会い「公式確認から四十年近くたつのに解決しないのは遺憾だ」という話をした。そのとき、環境庁は「政府見解じゃない。首相個人の思いだ」と言い張った。環境庁の担当者はずっと訴訟を続けてきているから、裁判への影響を警戒する。汚れた魚を食べて病気になったという経緯は明らかなんじゃから、そりゃ、国の責任は免れないよ。僕はそう思うとった。
 
―同年十二月の政府見解で救済の遅れを「申し訳ない」と謝罪したが、患者側から「明確に国の責任を認めていない」と批判された。
どこの責任だと断定すれば、即(補償金を)払えとなる。責任は明確にせんで和解しようと譲り合ったのが政治決着。言葉の使い方はそこらが限界という気がした。ただ、政治的責任は感じざるを得ないという気持ちは強くあった。評価は分かれるが、決着して肩の荷が下りたという感じだった。
 
―決着したはずの水俣病問題が続いている。
残念じゃな。全面解決したつもりじゃったけどね。ほかにも医療や地元復興をどうするかとか、いろいろ難しい問題が残っている。
 
―関西訴訟最高裁判決は国、県の賠償責任を認めたが。
五十年も争いが続いていることは政治の責任。そして行政の怠慢だ。官僚の「責任は認められない」という主張を、政府が是として後ろ盾になってきたんじゃ。僕は判決に従って全面的に解決すべきだと思う。政治家が決断せないかん。
 
―今、首相だったら再び政治決着に動くか。
問題は未認定患者をどうするか。役人は認定基準を変えん限り認められんというじゃろうが、「生前解決」しかないんじゃないか。初めて患者さんと会った時を思い出す。そりゃあ、胸が痛むよ。何とかせないかんという気持ちになる。そういう印象がずうっとある。

 

九弁連、初の現地調査 水俣病被害者から意見聴取(熊本日日新聞 2006.3.27)
 
九州弁護士会連合会人権擁護委員会(増田博委員長)の弁護士が二十六日、水俣病被害の実情把握のため水俣市を訪れ、被害者に意見を聴いた。
二〇〇五年九月、水俣病認定申請者でつくる水俣病不知火患者会(大石利生会長)と水俣病出水の会(尾上利夫会長)の計約二千人が同委に人権救済を申し立てたことを受けた初の現地調査。
弁護士は熊本や鹿児島、福岡などの十一人。この日は同市桜井町の水俣協立病院事務所で、不知火患者会の大石会長ら三人から症状や日常生活で感じる不便さなどを中心に聴取した。
大石会長らは「十年前の政治決着で救済を受けた人と今の申請者の症状は変わらない」と話し、「国は申請者を補償内容が低い新保健手帳に押し込めようとしている。同じ被害を受けながら救済を求めた時期が違うだけで補償が異なるのは人権侵害だ」などと訴えた。
終了後、増田委員長は「政治決着でも救済されなかった人が多いことに驚いている。私見だが、劇症型患者を前提に作られた今の認定制度ではなく、比較的軽症の人を救う制度も必要なのではないか」と語った。
同委は今後、出水の会のほか国や熊本県にも事情聴取する予定で、年内にも勧告や警告などの結論を出す意向。事情聴取と並行して、両団体の会員に健康被害の内容などを調べるアンケートも実施中で、公式確認から五十年となる今年五月一日前に、結果を中間報告する予定という。

 
 
 

関西水俣病訴訟上告の意味土本典昭 2001.5.16)
 
今回の水俣病関西訴訟は、六年前の一九九五年の村山内閣時代の政治決着による和解以後、唯一闘われた裁判であり、初めての「高裁判決」として待たれたものだった。
知られるように「和解」では“最終全面解決”として、控訴した原告二千三百人の全裁判と千三百人を超える認定申請、行政不服審査請求の総取下げという過酷な条件が付けられた。
係争事案を一切なくすことが政府の方針であり、早期解決を望む被害者の心情につけこみ、夥しい原告患者や未認定患者を一気に処理した。
この流れにひとり抗して高裁の継続を選んだのが関西訴訟であり、国県の責任を問うことを中心に据えていたのは言うまでもない。 
高裁は初級審より重みがある。当時の「和解」の過程で自民党は判決間近に煮詰まっていた福岡「高裁」の判決を待つという態度を幾度も表明した。
「国の責任については高裁の判決にゆだねる」という。高裁の権威づけをした上で、政府に有利な判決を予想するかのような態度で、「和解」における政府の直接謝罪を逃れようとしたのである。
結局村山首相の「遺憾表明」で決着したが、謝罪はついにしなかった。それだけに国県の責任を問う関西訴訟の「高裁」判決はかれらにとっても重大な意味をもっていたはずだ。
四月二十七日の大阪高裁の判決は国と熊本県の行政責任を明確に示し、国家賠償を命じた。水俣病の原因物質があきらかになった昭和三十四年末以降の行政の違法を、つまり国には水質二法、県には漁業調整規則に照らしてその不作為を断罪した。それはいままでの三地裁の行政責任論よりさらに徹底した理論が展開されたものである。
そして水俣病の診断基準にメチル水銀の大脳皮質の損傷という中枢神経説を採用し従来の認定審査会の墨守した病像論を完全に否定した。末梢神経の障害は他の疾患でも説明できるとして、水俣病とはしなかった環境庁熊本県の方針の根幹が医学的に崩されたのだ。
この判決が確定すれば一万人を超える「和解」処理した全未認定患者の全面的見直しは必至となる。
低額の賠償金や水俣病と認められなかった原告の存在など問題はあるが、この二点では水俣病事件史に残る判決になった。
ただしこの判決が確定すれば、である。