arcturus2006-05-02

 

苗代やげんげの花の捨ててある

 

水俣病:「妹にとって苦しみだけの50年」一家の悲劇語る
 
「認定申請は33年間も保留のまま。私はまだ『ニセ患者』ということなんです。現在認定申請中の三千数百人のためにも、生きているうちに国にもう一矢報いたい」

病の妹支え続け50年 2人が発症 水俣病確認の発端に 姉沈黙破り心情
 
「だれも助けてくれないから話しても無駄だと思っていた。でも、私もいつまで生きとるか知れん。今、言うとかんと終わりになるごと気がして…」
「みんな終わっとるち言うけど、私たちにすれば終わっとらんですから」

水俣病:公式確認50年 「50年だから、今、言わないと」−−患者が誓いの言葉
 
「みんなで、一緒に、暮らせる、場所を、作って、下さい。お母さんが、生きている、うちに」

軌跡:水俣病50年/6 2004年10月 最高裁判決
 
「なにが50年やねん。うちらには死ぬまで水俣病がついてまわるんや」

水俣病公式確認1日50年 足元の声に耳傾け
 
「マスコミがもういっぱい来た。でも、慰霊式(5月1日)までじゃろうが」