arcturus2006-06-05

暮れりゃ砂山 潮鳴りばかり

 
せいじけっちゃく政治決着て言うけれども医療手帳の交付を再開するだけのことでしょ。
そんなの当然じゃんよ。該当者がいるのだもの。
認定基準を見直さないでできるのはそれしかない、いつかは出てくるだろって思ってたけど。救済策が1つ増えることは歓迎すべきことだとして、では、医療手帳対象の「認定はできないが一定の症状のある患者」は水俣病ですか、ちがうのでしょか。関西訴訟の原告だった方々はどうですか。
いったいいつになったら、正面から答えてくれますか??
95年の政治決着は「国には責任はない」うえにあったものでしたから、未認定患者が水俣病であってもなくても、うやむやなままでも、どちらかいえばそのほうが、高齢の“特殊疾病”の患者を福祉的に救済するのに都合がよかったかもしれない。
でも今回はちがうでしょ。
たとえ1/4ではあっても国に責任があるとされたのだから、福祉救済的な方策をとるお上という立ち位置にはいられない。水俣病ではないというなら被害者ではない者になぜ一時金を支払うのか、水俣病患者であるのならどうして認定基準の誤りを認めないのか、に答えなければならないはずです。いまになっても「グレーゾーン」ともできないでしょう、行政が認定しようがしまいが医学的には水俣病でしょ??
あえて国の責任は問わないことでしか成り立ちえなかったからこその「苦渋の選択」を、意味なかったなんて私には言えません。だけど、再び「認定基準は正当」であるとして終息させようとすることが政治決着なんておかしい。
未認定者は水俣病なのかどうなのかに答えないための政治決着でしかないなら、また「にせ患者のごね得」と言われかねないよ…
 
 

熊日連載『動くか水俣病対策 第2の政治決着へ』より。

(上)県と県議会、国へメッセージ 打開には政治の力頼るしかない。
 
国に要請するのは(1)九五年と同様、被害者一人当たり二百六十万円を上限とした一時金の支払いと、医療費の公費負担や療養手当支給を保証する医療手帳の交付再開(2)国が水俣病認定基準としている「昭和五十二年判断条件」の妥当性に関する説明責任(3)検診医師の確保、などだ。
「一万人超の水俣病被害者に苦渋の選択を強いた政府解決策の枠組みを壊せば、地域は再び混乱する。かと言って、このまま被害者を放置すれば不作為責任が拡大する。事態打開には政治の力を頼る以外にない」
政治解決の際の医療手帳を再び持ち出した背景を、特別委委員長・中原はそう明かす。
事実、〇四年十月の最高裁判決を機に、水俣病の認定申請者は増加の一途だが、申請者の検診や審査は手付かずの状態が続く。
水俣病被害者の救済は、一つは公害健康被害補償法に基づく認定、もう一つは最高裁判決後に交付を再開した新保健手帳の二本柱。しかし、環境省が被害者の受け皿になるとみていた新保健手帳による救済は頓挫、認定申請者は熊本県のみで二千五百人を超えた。
その一方、申請者が水俣病かどうかを判断する県の水俣病認定審査会の委員(医師)は、行政と司法で異なる病像の“二重基準”を理由に委員再任を固辞、審査会は機能まひしている。
「認定審査会を再び機能させるには、判定が難しい被害者を医療手帳で幅広く救済する一方、認定基準の五十二年判断条件の正当性をいま一度明確にする必要がある」。特別委副委員長・藤川隆夫は、“第二の政治決着”の目的をそう語る。
要請書には、国が要請に応じない場合、県が国の代行をしている認定審査業務の返上も盛り込まれた。「最高裁判決で行政責任が確定したが、国と県の責任の重さは全く違う。国はチッソに対する金融支援を含め、国策の結果としての公害発生責任を、県に押し付けている」
七七年にも認定審査業務(当時は機関委任事務)の返上を決議した県議会の経緯を踏まえ、特別委の古参委員・八浪知行は不満を爆発させる。
同日の特別委が閉会に近づき、県の方針に懐疑的な委員も少なくない中で、村田は意を決したように口を開いた。
「実現のハードルが極めて高いことは分かっています。しかし中央の政治が動き始めた今こそ、絶好のチャンスであり、ラストチャンスだと思っております」。村田の発言は、県の方針が「捨て身の賭け」であることを物語っている。(毛利聖一)

(中)慎重論根強い永田町 地元の思いは受け止めるが…
 
国と熊本県の加害責任が確定した二〇〇四年十月の最高裁判決を機に、認定申請者が増大する一方で、水俣病の認定審査業務は機能不全に陥った。「こう着状態を打開できるのは政治しかない」。潮谷ら県執行部は県議会の後ろ盾を得て、そんな思いを国会議員にぶつけた。
しかし、その数時間前に同じ顔触れで訪れた環境省公明党副大臣江田康幸の笑顔とは裏腹に、省内には「行政が踏み込める領域ではない」(炭谷茂事務次官)と冷めた空気が漂った。
「(熊本県の)厳しい立場は分かるが、それは国も同じ。一万一千人の被害者と和解した一九九五年の政府解決策は、そんなに軽いものではない」。公害健康被害補償法に基づく認定から政府解決策による“決着”まで、紆余(うよ)曲折した被害者救済の経緯を念頭に、環境省幹部の一人は、そう言い放った。
「仮に医療手帳交付を再開しても、一時金支給に伴うチッソ負担のスキーム、現在起こされている訴訟の取り下げが可能なのか。問題解決には膨大なエネルギーがいる」。幹部の表情は厳しかった。
九五年、当時の自民、社会、さきがけの村山連立政権は「高度な政治判断」として、長年係争してきた被害者団体と和解。「水俣病患者」かどうかをあいまいにしたまま、水俣病問題に終止符を打った。
その際、約一万一千人を医療手帳対象者に認定し、チッソ負担の一時金二百六十万円をはじめ、医療費や療養手当を支給。環境省の試算では、手帳を交付した九六年度以降、〇四年度までの給付額は一人当たり平均五百七十五万円、総額六百億円を超えるという。
「財源負担を含め政府内で和解にどれだけ労力を要し、被害者にも苦渋を強いたか。甘い考えで再度救済策を実施すれば、地域に混乱を生じさせかねない」。連立政権の官房副長官で、交渉の表裏を知る自民党政調副会長・園田博之は、県の考えに慎重だ。

(下)被害者団体に温度差 「喜ばしい」「遅きに失した」
 
一日午前、東京・永田町の衆院議員会館。与党水俣病問題プロジェクトチーム(PT)は、県と県議会が要請した“第二の政治決着”に向け検討に入ることを確認した。会合を終えた座長の自民党衆院議員・松岡利勝は「相手があることだから、関係者に当たってみることが、今後の作業の基本になる」。被害者側との協議が大きなポイントとの認識を示した。
その三時間後、定例会見に臨んだ環境事務次官・炭谷茂も「今後、被害者団体の本音を見定め、PTの議論に生かしていきたい」。
正午前、鹿児島県出水市の水俣病出水の会事務所では、会長の尾上利夫(68)の表情がふっと緩んだ。与党が一時金支給を含む医療手帳の交付再開の検討に入ったという連絡を受けた瞬間だった。「与党の姿勢は評価したい。この流れで進んでいくに違いない」。そう言うと、尾上は電話を取り会幹部へ次々と連絡を入れ始めた。
一昨年十月の関西訴訟最高裁判決を機に、一九九五(平成七)年の政治決着で鎮静化していた認定申請者が急増。現在、鹿児島県を含めると約三千九百人に上り、四つの被害者団体が生まれた。
認定申請者千七百人を抱える出水の会はもともと、十一年前より高い七百万円の一時金を要求してきた。離島の獅子島(鹿児島県長島町)在住の会員が多いため、医療費の無料化だけでは通院費まで賄えないという事情があるからだ。
尾上は「近いうちに開く世話人会の結果をみないと分からない」としながらも、「かつての政治決着と全く同じ一時金二百六十万円、さらに団体への加算金が出るのなら、大半の会員が受け入れるのではないか。与党が接触したいというなら、前向きに応じる」と明かす。
二百十人でつくる芦北の会の会長村上喜治(56)は「医療手帳再開は、私たちがずっと求めてきたこと。実現すれば、これ以上喜ばしいことはない」と歓迎する。
これに対し、昨年十月、国家賠償請求訴訟に打って出た不知火患者会には「遅きに失した」と映る。司法による新たな救済システムを目指す同会の原告は、第五陣までで既に千二十八人に膨れ上がっている。
一日、会長の大石利生(66)らは、十一日に水俣市で開く集会に出席要請するため、熊本市の労組を訪ね回っていた。「私たちが訴訟に踏み切ったからこそ、与党のこうした動きに発展したんじゃなかですか。救済を口にする国も県も加害者。被害の程度に応じた補償を公平に決めることができるのは司法の場しかない」。大石は冷ややかに言い切る。
さらに、昨年六月に発足した水俣病被害者互助会事務局の谷洋一(57)は、行政責任がないことを前提とした十一年前の政治決着と今との大きな違いを指摘する。「行政責任を認めた最高裁判決により、補償、認定制度の前提がすべて変わった。病像も含め、すべてを見直さなければならない。被害の実態も見ず、最終解決などあり得ない」。行政の姿勢を正すべく、新たな国賠訴訟の準備を進めている。
「全面解決できないなら意味がない」。松岡はPTの会合で強調した。“第二の政治決着”の内容が詰まるのはこれからだが、申請者団体の受け止めには大きな温度差がある。=敬称略(久間孝志、並松昭光)