習熟度別指導

 
岩波ブックレット『習熟度別指導の何が問題か』佐藤学(2004年)について
 
習熟度別授業が、小・中学校に広がっています。
松山でのタウンミーティングの記事*1を読んでしまえば「差別だ〜」で十分かとも思ったりですけれど
「“習熟度別”という言葉から“差別”のニュアンスを嗅ぎ取って批判するのはナンセンス」
と言うひともいるようなので、ヒントがほしくて読んでみました。
 

この急激な普及は、文部科学省の通達や指示によるものではありません。
文部科学省は「学力低下」批判への対応として「習熟度別指導」を奨励していますし、全国で1000校を研究指定した「学力フロンティア学校」では「習熟度別指導」の実験を行うことを求め、一般の学校には「少人数指導」のために教師の加配(定員以上に教員を配当する措置)を行ってはいますが、「習熟度別指導」を一律に導入することを求めてはいません。2003年10月現在審議中の中央教育審議会も「中間報告(案)」において学習指導要領に「個に応じた指導」の一例として「習熟度別指導」を明記することを提案していますが、すべての学校に強制しているわけではありません。
文部科学省が公言しているように、「習熟度別指導」の導入いかんは、各学校の判断に委ねられています。しかし現実には、文部科学省が報告書や提言において奨励しただけで、全国各地の学校で急速に一斉に「習熟度別指導」が普及しました。いったいなぜ、このような事態が生じたのでしょうか。
都道府県教育委員会の政策によって差がありますが、多くの都道府県では、各学校の校長が「習熟度別指導」の導入に関する教育員会からの問い合わせに対し、「導入しない」という選択を行うことは、事実上困難になっています。「少人数指導」の実現を「習熟度別指導」の導入とセットにすることによって加配教師の予算化を達成した都道府県教育委員会が多いからです。文部科学省も「学力フロンティア事業」や「少人数指導」の実現を「習熟度別指導」の導入とセットにして予算化してきました。

 
習熟度別指導は時代遅れと、佐藤氏は書いています。
欧米の研究ではトラッキング(能力別指導)による効果が疑わしいことが明らかになり
多くの国で廃止されていて、現在トラッキングを維持しているのはドイツ、スイス、オーストリアなどだそうです。
これらの国々でトラッキングが持続されているのは、特権的なエリートの教育を求める保守的政治家の圧力や
マイノリティの排除を求める人々の政治的圧力により廃止が困難だからと、佐藤氏はしています。
また、習熟度別指導の有効性を問い直す1つとして、2000年にOECDが15歳の生徒を対象に
加盟28ヶ国と非加盟4ヶ国で行った国際学力比較調査(PISA)の結果があげられていました。*2
フィンランドは70年代以降、中等教育の総合化とトラッキングの廃止にもっとも積極的に取り組んだ国の1つだそうです。

この調査結果は世界を驚かせました。驚きは二つあります。一つはフィンランドが断トツで世界一の高学力を獲得したことです。もう一つは、これまで高学力と思われていたスイス(第17位)やドイツ(第21位)が、平均以下の惨憺たる成績だったことです。この衝撃は「PISAショック」と呼ばれています。
私は「PISA調査」の結果はトラッキングの敗北を意味していると思います。
第1位から第8位までの国*3は、いずれも15歳までのトラッキングを廃止した国か、もしくはトラッキングの廃止を推進した国です。その一方で、三分岐システム(小学校の学業成績で、大学進学のためのエリート校、実業社会に準備する職業高校、それ以下の成績の学校の三つに分ける中等教育システム)を固持しているドイツ、スイス、オーストリアなどは、いずれも中位もしくは下位の成績しか獲得できませんでした。
もっとも深刻なPISAショックを受けたドイツでは、小学校四年の成績によって、大学準備のエリート教育を行うギムナジウム、職業技術の教育を行うレアル・シューレ、学力の低い子どもを集めるハウプト・シューレに三分されています。わずか10歳の成績で子どもの将来を決定するというのはずいぶん乱暴な制度ですが、ヨーロッパ型の中等学校は、かつてはどの国もドイツと同様の三分岐システムをとっていました。

ドイツの失敗がトラッキングの敗北を意味しているとすれば、フィンランドの成功は教育における平等の勝利でした。フィンランドの教育関係者とOECDのアナリストは、PISA調査の結果は「質と平等」の相補性を実証したと述べています。


これまでの教育改革において「質」と「平等」は往々にして対立的に扱われてきました。教育の「質」として卓越性を追及すれば「平等」が破壊され、逆に「平等」を追及すると「質」が破壊されるというのが、これまでの常識でした。
しかし、フィンランドの事例は、「質」の追求と「平等」の追求が矛盾しないこと、いやむしろ「質」と「平等」を同時に追求することが教育改革の基本政策になるべきだということを示したのです。

習熟度別指導は、能力の個人差に対応する必要から生まれていますが
その個人主義的な解決策の代表的な方法は2つ。

ブルームが「完全習得学習」を提唱し個人差への対応を強調したのは、黒人の子どもの低学力問題を解決したかったからです。その意志はまっとうでした。しかし、すべての子どもが百点をとる教育を目的とするのは誤りだと思います。一人ひとりの多様な個性や能力を多様に発展させることが教育の目的になるべきでしょう。
そして、どのような教育を行ったとしても、学力は正規分布(ノーマル・カーブ)を描くと思います。追求すべきは学力の正規分布をなくすことではなく、少しでも正規分布のカーブを右方向(高得点)に移動させることであり、同時に、少しでも正規分布の幅を縮小することだと思います。

ブルームの「完全習得学習」と並んで、個人差への対応として注目されてきたのが、クローンバックの「適正処遇交互作用」の理論です。


「適正処遇交互作用」の考え方は、子どもの個人差の複雑さや個人差への対応の難しさを日々実感している教師たちにとっては納得のゆくものです。個人差に対応した教育とは、習熟度や能力の段階に対応した教育に限定されるものではなく、子どもの多様な「適正」と教師の多様な「処遇」の関係を「最適化」した教育を意味しているのです。
しかし、「適正処遇交互作用」によって個人差に対応したカリキュラムや授業実践をデザインし開発することは容易ではありません。「適正」の要素は多様ですし、「処遇」の要素も多様です。「適正」と「処遇」のどのような組み合わせが「最適化」を実現できるのかを特定することは容易ではありません。しかし、「適正処遇交互作用」の考え方は、「習熟度」や「知能の一般的能力」を「個人差」として指定して所与の教育内容を段階的に適用するという、一般的に普及している「個人差への対応」の考え方が、「適正」と「処遇」の関係を単純化しすぎていることに気づかせてくれます。

欧米諸国においてはトラッキングによる習熟度別指導に替わって協同学習が普及し成果をあげているそうです。
1つひとつの机が黒板と教卓に向かって整然と並べられた教室は、ほぼ消滅しているといいます。

一斉授業や個人学習において教室における能力や習熟度の差異は一人ひとりの学びにおいて障碍となります。しかし、「協同学習」において、能力や習熟度の差異は学びの契機と発展の基礎となるのです。「習熟度(能力)別指導」の失敗の要因は、「効率性」と「競争」に呪縛されて学びを個人主義の枠に閉じ込め、「協同」と「協力」による学びの契機と発展の可能性を見失ったところにあるのです。

あえて「習熟度(能力)別指導」の有効性を探し出すとすれば、「上位」グループの中の上位の子どもの「英才教育」にとっての有効性です。その有効性は多くの調査結果によって実証されています。

フィンランドの教育が示唆しているのは、私たちの問いの立て方を転換する必要があるということです。能力の差異に対応した教育にどう改革するかではなく、能力の差異を生み出した教育をどう改革するかを問うべきです。能力や個性の差異にいかに対応するかではなく、能力や個性の差異を生かした学び合いをどう創造するかを問うべきです。この二つの問いを欠落させている点において、「習熟度別指導」は根本的な誤りをおかしています。
能力差別の現実がある限り、平等の価値は決してないがしろにしてはいけないのだと思います。

早い時期に“習熟度という能力”で分けて、分けられたなりの内容で授業を受け続けて
入れ替わりがむずかしくなっていけばどうなるのでしょう。
子どもはデキるデキないに敏感で、デキるほうが「いいと評価される」こともよくわかっています。
充分に配慮するとはいっても、ある程度の年齢になれば、能力別に振り分けられて意欲なんてもてるでしょうか。
格差が広がり、否応なしにあきらめをもって育つだけのことにならないでしょうか。
子どもの成長の早い遅いはほんとうにそれぞれです。
その違いによって早い時期に判断されコースが固定化されてしまうなら
ますます子どもは急がされてしまいます。まず親が焦ってしまうでしょうもの。
義務教育での原級留め置き、つぎは幼小一貫教育、ですし。

幼小一貫教育の検討提言「小1問題」に言及 中教審(朝日新聞10月25日)
中間報告は、小学1年生が学校に適応できず、学習に集中できない「小1プロブレム(問題)」に言及。背景には、家庭や地域社会の教育力が低下したことがあると指摘した。子どもを取り巻く環境の変化を踏まえ、幼稚園や保育園が、家庭・地域の教育力を補完する役割を担う必要があるとしている。
そのうえで、遊びの中で生まれた興味を学びへとつなげていくために、幼稚園などと小学校の連携を強化すべきだとした。具体的には、幼・小で教員の人事交流を促進し、児童の合同活動に取り組む場合に「幼小連携推進校」として奨励することを提言。また、こうした取り組みを踏まえて幼小一貫教育の在り方を検討すべきだとした。

いちねんせいくらいいーぢゃん、けちっ(笑)



問題の解消が、だんだん低年齢に要求されていきますか??
家庭教育、そんなだめだめでしょか??
「子どもが変わった」とよくいわれるけれど、学校が変わらなさすぎるともいえませんか??
どう変えればいいのか…
その答えが習熟度別授業であるというのは、ちがうと思いました。
 
 

*1:「昨年、ヒトゲノム、(すなわち)私たちの体をつくっている遺伝子情報がすべて読みとられた。それは一人ひとり違う。その差は残念ながら持って生まれた遺伝子の組み合わせの差だ。(中略)そこをどう埋めていくのかが習熟度別学習であり、もっと伸びる子を伸ばす、それから今のままではついていけない子をどう救うか、が重要だ」

*2:OECD生徒の学習到達度調査2000年調査国際結果の要約

*3:フィンランド、カナダ、ニュージーランド、オーストラリア、アイルランド、韓国、イギリス、日本